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旧満州の旅

今回の年末締めくくりの旅は旧満州。

大連→瀋陽→長春→ハルビンと続き、最後はマイナス28度の凍てつく寒さの中で過ごす、結構気力と体力のいる旅だった。いつも旅を共にする相棒が完璧な準備と現地調整をしてくれたお陰で、全体的にスムーズに進んだことには本当感謝だな。
何年経っても今の色褪せない感覚に立ち戻れるように、今回も旅についてピュアな気持ちを忘れずに纏めてみました。

1. 満州について

何となく歴史上大事な地域であることは知っていたけど、その実感が少しばかりは分かった気がする。

① 戦時中100万人以上の日本人が住んでいた地域
世界的指揮者である小澤征爾さんや、今年亡くなられた梅宮辰夫さんら、著名人で満州出身者も多いことを知るとグッと身近な存在に感じるのは僕だけだろうか。
1932年に満州国が建国されて以降、軍人と一般市民約60万人が移り住み、戦時中には最大100万人が生活していたとされている。今でも当時日本が建設した建物は沢山残っており、現在のローカル政府のオフィスとしても使われているところもあった。関東軍が満州国の行く末を議論していたとされるホテルなどを訪ねたりした。

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敗戦後に満州を占領したロシア軍や現地の人々から報復的行為に受け苦しむ日本人を早期に日本に引き揚げることが国家的使命であった。(勿論引き揚げの対象は満州地域のみならず、他の中国地域やソ連・台湾・朝鮮などにも及び全部で600万人以上)
NHKドラマ「どこにもない国」でも語られていたが、特に満州からの引き揚げには、様々な壁があり、生死をかけたものだったようだ。引き揚げ開始から4年経って99%の約624万人の日本人が帰還できたことは本当凄いことだし、この広範囲かつ大規模な国家的プロジェクトは、人類史上最大の短期的かつ集団的な人員移動だったとも言われている。これを推進した歴史上の名もなき方々は大いに讃えられるべきなんだと思う。


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② 日露戦争により獲得した地域

日露戦争によって獲得したのが遼東半島。司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」の舞台そのもの。英雄視されている歴史上の人物(東郷平八郎・秋山真之・乃木希典・児玉源太郎など)の痕跡に触れられたことは、長い目で見て自分の人生にとってもプラスになる気がしている。

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旅順攻略に2度失敗し、戦略思考が優れていた訳ではないと歴史上評価されつつも、明治天皇からの厚い信頼を受けて昭和天皇の教育係にもなった乃木希典はどれだけの人格者だったのだろうか。

英雄東郷平八郎も、参謀秋山真之がいてこその活躍ぶりだったとすれば、その参謀的振る舞いや思考、努力はどのようなものであったのだろうか。

そんなことを調べたり考えたりする時間は今の自分にとってとても貴重だった。

③ 満州事変と満州国

満州事変は中国では9·18事件と呼ばれ、屈辱的な出来事として歴史に刻まれている。日本で戦争というと、被爆国としての被害者意識が強いが、僕らは加害者でもあり、1,000万人~3,500万人(日本との食い違いもあるようで、何が正しい数字なのか分からないが、規模の大きさだけはみてとれる)の中国人が日本軍により死傷している。

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ハルビンにある731部隊(関東軍の一部隊。京大・東大・慶應などの一流医学研究者を集め、細菌戦に使用する生物兵器の研究開発を行い、人体実験を繰り返していた)の研究施設跡地などを巡りながら、日本が中国の方々に対して犯した様々な非人道的行為があった過去を知った。歴史教育上はあまり多くを語られないが、実質的にはナチスのホロコーストに近い行為なのだろう。日本人によるこれら非人道的行為を紹介する博物館は、極めて創造性溢れる手の込んだ空間に設計されており、しかもそれが無償で公開されていることからも、共産党がこれを広く人々に周知させようとしていることが分かる。かなりゾッとする言葉の使い方もされていて、こんな自分でさえもあの空間にいると身の毛がよだつ感覚を持ったことからも、被害者である中国人にとっては結構インパクトあるのではないだろうか。

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石原莞爾の「世界最終戦論」の存在を初めて知ったのが、必ずしも帝国主義的に中国を支配しようとした訳ではないだろう彼の思想と壮大なビジョンを知れたことは一つの収穫だった。

2. 感じた事

① 社会は過去の犠牲のもと進化を遂げる

インターネットが戦争の産物であるように、犠牲や争いが人類を前に進めてきたのも皮肉な事実。逆に言えば、争いなくして進化はないのかもしれない。個人間の争いは“喧嘩”と呼ばれ、それがスポーツになると“対戦”と呼ばれ、企業間になると“競争”と呼ばれ、国同士になると“戦争”と呼ばれたりする。規模は違えど確かにどんな争いごともその過程を経て、進化に繋がることは間違いない。

争いや事件が起きると、それを二度と起こさない為に社会規範や法律ができ、それがいつしか社会の慣習や価値観となる。そして新しい技術ができ、それを悪用した事件が起き、また法律が制定される。今僕らが生きている世界はこの積み重ねで成り立っている。

いま自分が携わっている医療・ヘルスケアの仕事も同様。過去に病気で亡くなられた人々の犠牲のもとに、そこから少しでも学びを得て医療を前進させていく不断の取り組みの上に、現代医療の姿がある。

現在の人類史上最も戦争の少ない平和な時間は、1900年代の多大なる犠牲があってこそという点からも、事件や大惨事、犠牲の理解に努めることは大事なことだと改めて感じた。

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② 悪はすぐ隣にある

ユダヤ人哲学者アンナハーレントは自身の著「エルサレムのアイヒマン」の中で、ナチスが犯した非人道的行為に主導的役割で関わったアイヒマンが後の裁判に連行されてきた際における風貌を関係者はみて、大きなショックを受けたという話がある。それは彼がどこにでもいる「普通の人」だったから。なぜ、そんな普通の人が残虐的な行為に至ってしまったのか。

これは関東軍を取り巻く状況にも当てはまるのではないだろうか。731部隊の存在を勉強不足ながら初めて知り、、、「なぜ権威ある医師達が非人道的な研究開発行為を行うことを受け入れたのか」という問いに向き合った際に、
Noと言わせない“世論”、戦地に行けばお金がもらえるという“誘惑”、従わなかったら殺されかねない“上司”、戦争を是とする“教育”が渦巻く中で、その時自分が同じ立場だったら、「No !!」と言えただろうかとも考える。
それでも、No!!と思える倫理観を持てている自分で在りたいと願うし、米国との開戦に断固反対しつつも、最後まで己の役割を全うした山本五十六のような生き様には、訓練を重ねないとなれないのだろうとも思う。

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③ よく聞くコトバとの距離感

現代は、言論の自由のもとにおけるインターネットの存在や、SDGsのような人類共通の目標のおかげもあり、正しいと思うことを堂々と場に出すことが出来るようになったことは凄くいいことだと思う。よく韓国や中国との間で揉める「歴史認識」問題についても、英語版Wikipediaのような複数国や多数の人々の知見を結集出来るメディアがあることで、一方的な目線での見解が是とされるケースも出づらくなったのではないだろうか。

「倫理観が大事」「多角的視点で物事を考えなさい」といったことや、「信頼が大事」とか「人に優しくありなさい」といった周囲から頂くご指導は、生きている中で様々な場面で出くわす。何度言われても、中々出来ない、、、こういうよく聞くコトバこそ、その真髄を心底理解するには相応の時間と経験と訓練が必要なんだと思うし、それを日々実践することはとてもチャレンジング。だけど、出来る限りの追求を目指して日々訓練するしかないのだろう。

④ 近くて遠い存在

中国でパスポートを持っているのは2017年時点で1億2,000万人以上。約14億人いる中で、この人数は当然増えていく。これは世界的にも同じであり、もっと多くの人々が世界中を行き来するようになる。これは一体何を意味しているのだろうか。「50か国以上周りました」「世界中に友達がいます」なんていう人が全く珍しくない未来はもう訪れ始めている。その時に、此れまで見えてこなかった新しいイシューが生まれるとしたら、一体それは何なのだろうか。戦争とは違う新たな争いが起こるとすれば、どういう形で表現されることになるのだろうか。

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今回、Didi使ったり、Alipay使ったり、翻訳機使ったり(+友人の中国人に電話して代わりに伝えてもらったり)して数年前に比べると圧倒的に外国人が旅行しやすい環境になったことを実感した。でも、やはりただの旅だけでは現地の方々が何に喜びを感じ、どんな願望を持っていて、どんな歴史観の中で育ち、何に困っているのか、といったことまでは当然分からない。現地に駐在して数年住めば多少は分かるのだろうけど、生まれ育った中で培われた感性や感覚まで理解するには、相当な時間を費やす必要がある。

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WeChat・LINEになれてしまうと、あたかもコミュニケーションとれているように思いがちだし、Facebookの投稿だけを見るとその人が何に楽しみを見出しているかが分かるような感覚にはなるけど、果たしてそれは合っているのだろうか。

誰にも言いたくないこととか、本当に思っていることって、表には出てこないし、場合によっては自分自身ですら言語化出来ない自分の感覚もある。SNSだけで外国の方々とコミュニケーションとれているという錯覚を持って、狭き感覚に基づく世界像を描いてしまう人が仮に増えてしまうとすれば、それは世界にとってマイナスなのだと思うし、それと同じことが、同じ国籍同士の間柄でさえ起きていることだと思う。

真のコミュニケーションとは何なのだろうか。誰もが様々な定義や感覚や経験則に基づいてその重要性を日々感じているはずだけど、これを体系立って教えてくれる人は中々いない。教えられないということも半分事実だし、誰も教えられないことだからこそリテラシーを高めていくことに果敢にチャレンジすることに価値もあるのだとも思う。

3. 最後に

以上、こんなことばかり考えていた旅だったけど、最後に訪れたハルビンでは、世界三大雪祭りの一つである「ハルビン氷祭り」や世界最大のアムールトラの人工飼育・繁殖基地にも行った。トラは勇ましくもあり可愛さもあり、何だかズルいキャラクターだな~と思ったり。

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旅に出る度に、知らないことばかりだな、と半ば絶望的感覚ともっと知りたいという飽くなき探求心に搔き立てられます。

知識だけ増えた先にある意識高い系みたいなのは皮肉的に使われるけど、出来る限り意識は”強く”在りたいと思います。一時的には単なる高いだけになってしまうのかもしれないけど、様々な現場を見ながら想いを強くして、少しずつ「頭で知っていること」と「腹から出てくる言葉」と「実際の行動」がバランス出来るようになれればいいなと思います。

来年以降も、良い旅ができますように。

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