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2019年4月振り返り

平成最後の日にシミジミとした気分にもなりながら一か月を振り返っていた。

4月に大きく感じたことは2つ。1つ目は、

1.一つのことと地道に向き合うということの美しさ

様々な特集番組を観る度に、明仁天皇や美智子様への尊敬の念は高まるばかりだ。「象徴天皇としてどうあるべきか」 ただひたすら、大きなるこの問と向き合い続けられてきたのだろう。大きな覚悟を持って、一つの問や責任と向き合い続ける人の背中に、孤独と美しさを僕は感じる。イチロー選手や長谷部誠選手に憧れの気持ちを抱くのも同じことかもしれない。パラレルな働き方もいいが、目的を持ってただひたすら”道”を究めていく人達が発する言葉には重みがあるし、僕もそうでありたいと思う。

果たして自分には、どんな一生を懸けて向き合う問いがあるのだろうか。

そんなことをふと思ったりしてしまう。

4月は、前橋・渋川シティマラソンに高校同級生と一緒に参加。彼は、1年弱くらい一緒にほぼ毎週皇居を走り続けた仲間。昨年は霞ヶ浦マラソンに別の仲間と出たのだが、30キロ付近で足が止まり、完走はしたものの不甲斐ない想いだった。今回は、止まらずに走り切ることを目標に掲げ、30キロの練習もして臨んだ結果、目標は達成すること出来た。(ランナーには公表するのが恥ずかしいけど、結果は4時間28分。それでも自己ベスト。)

ここで感じたのは、①コツコツ地道に取り組めば必ず結果は出る ②仲間がいれば自分が持つ以上の力が出せる ということ。すごく当たり前なのだが、マラソンという決して簡単ではないことを通じて、結果と共に得たこの学びは自分の血となり肉となってくれるに違いないと思っている。

4月に大きく感じたことのもう一つは、

2.「人を励ますということ」の尊さ

仕事でタクシーに乗ることが多いのだが、高齢の運転手さんであることは実際に結構多い。「大丈夫か、、、?」と思うことも結構あるのだが、彼らと会話をする中では、感じさせられることがある。同じような出来事は2回あった。

1回目は、丸の内から赤坂に向かうタクシー。自分はPC作業をしながら乗車していた為、あまり道順とか気にならなかったのだが、運転手さんはやたらと申し訳なさそうに自分に接してくる。よくよく話を聞いてみると、「最近、道を忘れやすくなった。今年もう80歳。元々医療の仕事もしており、体は強かったのだが、まさか自分がこうなるとは、、、」と大分落ち込み気味だった。何となく、この運転手さんが自分の祖母と重ね合わさった。自らの老いと向き合わざるを得ない状況になった時、人は大きなショックを受けるのだろう。人間にとって、老いことや、物忘れしやすくなるということは自然な現象。当たり前ことだということを伝えると、凄く気持ちが和らいでくれたようで、お釣を多くくれた。「ありがとう、励ませたよ。」とまで言って頂けたのだが、赤の他人でも誰かを励ますことが出来るのだな、と思わされた。むしろ、祖母や母、地域のヘルパーさんと接していても、「家族には出来ないことがある」ということに気付かされる。赤の他人同士でも、どこか存在する意味みたいなものがあって、それが全体調査されて社会となっているのかもしれない。

2回目は、京都でのシーン。これも高齢の運転手さん。これもまた運転がかなり荒かったのだが、、、「京都の運転手は世界遺産だ。」という話をしていたら、「嬉しい。そんなこと言われたのは初めてだ。あんたは詩人だ。」と。

平成を振り返れば、明仁天皇と美智子様は、何度も被災地を訪れ、被災者を励まされていた。4月に亡くなられたマラソンの小出監督。高橋尚子さんや有森裕子さんらは、彼の言葉に何度も励まされたらしい。松下幸之助もそうだ。「君なら出来る。絶対出来る」と何者でもない社員を励まし、何者かに仕立て上げた。僕の心のフィルターに引っかかる方はそういう人のようだ。

話に耳を傾け、

本音で声を掛け、

そこで何か特別な”意味”を伝え、

希望を引き出してあげられる。

いつかそんな人でありたいと願う。


さて、令和の時代も始まった。瞬間的に気持ちは大きくなるけど、母に教えられたように地道にコツコツと今自分が向き合うべきことから逃げずに、一歩ずつ前進していきたい。恐らく5月は、苦手なこと(数字エクセル系)と向き合わざるを得ないと思うので、積極的に挑んでいきたい。6月には大きく成長したと言えるように。

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