公平公正・平等、個人情報の保護を考えることから始まって、いろいろと思うこと

今の私は「公平・公正」、「平等」、「個人情報の保護」という言葉がとても嫌いになっています。しかし、教師をしていた頃はとても大切に感じていたキーワードなのです。

私は言葉の意味を次のようにとらえています。 公正:正しい(とされる)こと/社会の秩序維持にかなうこと                公平:偏りや、えこひいきのないこと     平等:みんな同じということ

個人情報の保護:個人を特定できる情報のことを個人情報と定義し、それを保護してむやみに流出しないよう守ること。

なぜ、私は世の中を良くするために必要であり、理想的な社会を創るためのこれらのキーワードが嫌いになったのか述べたいと思います。

まずは時代背景です。小泉政権時代にブレーン竹中平蔵氏を中心に終身雇用制度を崩し、郵政民営化を果たしました。そして非正規が大幅に増え、所得の格差が大きくなっていきました。安倍政権ではさらに金持ちを優遇する政策アベノミクスにより、大企業の税制を優遇をし、公平に税収入を得て社会保障を充実させるという名目で消費税を10%にまであげました。最近では「上級国民」と言った言葉であらわされるように、罪を犯しても司法の場で無罪放免となる東電の役員たちや元官僚、元医院長などなど。嘘をつく総理大臣に合わせて公文書を改ざんする官僚を目の当たりにします。世の中の公正さがまったく保てていません。また、個人情報の保護については、マイナンバー端末、自治体4割が情報持ち出し可能といった状態(https://mainichi.jp/articles/20200115/k00/00m/040/265000c)です。しかも、インターネット上では、個人情報が漏れまくりです。先日、還暦の祝いの同窓会で制作したビデオを同窓会に参加していない人にも郵送したのですが、石川県在住の同窓生から職場に早速お礼の電話がかかってきました。「よく職場が分かったなぁ」と言うとネットで「小豆島 八木陽介」で検索すると「富丘文化センター」がヒットして電話番号が分かったと言うのです。しょうみ、おそろしいです。

つぎに行政では一般的に「公平・公正」という言葉は、その使い方として、相談に来た住民に対して、「相談にのれません。」「そのようなことは、貴方だけにはできません。」と断るためのもっともらしい言い訳でよく使われます。また、新しい案を提案しても、検討もされずに「公平公正」に対応できないからと変化を嫌います。また、横断的な連携をとって住民の支援(例えばひきこもり問題や生活困窮問題)に取り組もうとすると必ずと言っていいほど個人情報の保護の壁にぶち当たってしまいます。

だから、私は「公平・公正」「平等」「個人情報の保護」という言葉が嫌いになっていった訳です。しかも、いろんな場面で常に本音と建前のギャップに頭を悩ませています。私は本音で生きようとするタイプの人間です。だから私の発言や行動は権力をかざす人には一番痛いところを突いてしまうので、よく叩かれます。

今までの二つの現場経験から学んだことは、学校という社会は、よく閉鎖的で教師は世間知らずだと言われていますが、『教育の現場では、教師集団は生徒のために頑張ろうというかけ声で団結することができます。』また、いじめ問題や不登校の問題などいろいろありますが、『生徒たちは仲間のために一つになろうというかけ声で団結することができます。』学校というのは言わば公平公正、平等の理想に近い社会なんだと確認できました。

しかし、社会に出ると公平・公正、平等ははっきり言ってありません。行政においても同じです。仮に役所で『職員集団が地元住民のためにがんばろうと言うかけ声で団結することができるでしょうか?』私にはそう言った発想すら持っていない職員がほとんどでないかと思っています。

国会中継を見ていてもそうでしょう。議員さんの仕事と言えば、汚いヤジばかりです。与野党に限らず、よい意見や案が出ても耳を傾けないし賛成もしないです。優秀なはずの官僚は自分の出世のために首相が嘘をついたら、それにつじつまを合わせて公文書を改ざんし、嘘の答弁をする。黒いものも白で押し通すような言動で国民のために公正な審議を一切していません。同じことが地方でも起こっています。自殺者まで出ても真実は闇の中で死人に口無しです。

最近、学校現場に戻りたいなと思うことがしばしばあります。今だったら生きる力をつけてあげるために子どもたちに寄り添うことができる気がします。

『世の中は公正・公平でなく、平等でないんだということ。自分の頭でよく考えて判断して、不公平な扱いを受けたり、差別されたりしていないかまず「おかしいことに気づく」こと。そしてそれをそのまま受け入れないこと。おかしい、間違っていると言える力をつけること。言えない場合は、相談できる家族や友人に「助けて」と伝える勇気を持つこと。』これを伝えたい。

自己肯定感がない子がどうしてできるかと言うと、親も自己肯定感がないからというケースが多いと言われています。自己肯定感を持たせるためには、植松努さんのメッセージを読むとよく分かりますが、子どもの言うことを否定しないことから始まります。親が生活の中で「ど〜せ無理」「できないに決まっている」と思っていたら、子どもにその言葉を常に投げかけてしまいます。言葉かけは大切です。子どもたちの言葉に耳を傾けて、寄り添う言葉を返す。「よく考えたね。」「だったらこうすればもっと良くなるんじゃないかな。」「楽しみにしているよ。」「困った時はいつでも相談してね。待っているから。」こう言った言葉を丁寧にかけていけば、自己肯定感はきっと育ちます。


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