「勝たん」のあざとさ、「ぴえん🥺」の真理
友人から「勝たん」はあざといという主張を頂いたので、何故あざといのかを文法的に考察していく。
文法的考察
「勝たん」の「ん」は否定を表しているようである。
否定語の「ん」は、少ないが存在はしている。例えば、「要らない」が変化して「要らぬ」。これが世俗化して「要らん」。他にも、「売らない」→「売らぬ」→「売らん」という変化もある。
これらは、音脱落現象である。語尾母音脱落現象と名付けよう(アカデミックに正式名称があるのかもしれないが、知らない)。iranu のuが脱落し、iran。uranuのuが脱落し、uran。
言語は世代を経るごとに音数が減るなど、シンプルに変化するという現象を発生させることがある事はよく知られている。元々印欧語族に存在する名詞の性が英語では撤廃されたのがいい例だ。
しかし、要らん、売らんはどこか冷酷な印象を与えるのに対し、勝たんはなぜあざといのか。それは、要らんが抱える音が「イラン」と一致し、売らんの音が「ウラン」と一致しているからである。前者は紛争を行っていた地域であり、湾岸戦争などの報道を通し「危険な地域」として我々は認識している。また、後者の「ウラン」は核爆弾に使われる物質であり、核戦争の危険性について我々はよく認知している。
したがって「要らん」「売らん」に危険な性格を無意識的に我々は付与しているのである。
では、「勝たん」はどうか。これはよく、直後に✋などの絵文字をつけて綴られる単語でもある。
同様の単語で、かつあざとさを有する単語が存在する。
ぴえん🥺である。
「ぴえん」はどこから来たのか
語尾母音脱落現象を加味すると、「ぴえん」はもともと「ぴえぬ」であったと推測でき、「ぴえない」だったと考えられる。これの原型は「ぴえる」という動詞である。ここからは、「ぴえる」の意味について研究を進めていく。
「ぴえる」と響きの似ている単語として自ずと導き出されるものがあるだろう。ピエールだ。このピエールという名前は、新約聖書に登場する使徒ペテロが由来なのだそうだ。バティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂も「聖ペテロ」を表している。聖ペテロは初代ローマ教皇とされている。
では、「ぴえない」は何を表しているのか。私はこの言葉を、ペテロの生涯と照らし合わせ、「ぴえない」は、ペテロの殉教のことを表していると考えた。
ペテロはローマにてネロ帝の迫害を受け、殉教した。かつてイエスが逮捕された際、自らを信者ではないと偽り逃走したことに対し罪悪感を抱いていた彼は、殉教の際「私を逆さ十字に架けてくれ」と言ったという逸話が残っている。
つまり、自分の師を裏切るようなことをした罪、自分の信仰の為に死をもたらされたという無力感、そしてイエスの復活による「赦し」に対する感謝、様々な感情が一体となっている。そのようなバックグラウンドをもつ涙を共にする感情を「ぴえん」と表現しているのではないだろうか。 そう考えると、🥺この顔も深く複雑な感情を抱いているかのように見えてくる。
このように、「ぴえん」は数多の感情と稀有なバックグラウンドを有していることがわかる。だがその過去を乗り越えた🥺は、涙をためつつも流さない。潤んだ瞳の奥には瞼という堰を切らない強さが隠れているのである。
だからこそ、私たちは「ぴえん」を守りたくなってしまうのではないだろうか。その強い意志が見えるから。立ち直れば、また綺麗な笑顔を見せてくれるはずだから。
「勝たん」は何者か
一方「勝たん」はどうであろうか。この言葉が持つのはチープなあざとさのみである。響きが似ているとすれば「加担」だろう。これは、あざとさを産むための加工に加担したという意味を含んでおり、いわば「加工に加工を重ね、原型をとどめていない自撮り」のようなものであろう。
私は加工推奨派である。メイクだってリアル加工だし、何なら整形だってアリだ。大アリだ。だから写真を加工するくらいいいじゃないか。せっかくの人生、美しく生きたい。だが、やりすぎ注意。加工しすぎると、以下の3つのどれかになってしまう。
①皆同じ顔になる
②人間でなくなる
③時空が歪む
「勝たん」も同じ。ほぼ虚構なのだ。記号として意味は通じるし、言いたいことも分かるが、なんと言っても加工しすぎである。あざとさが安っぽい。ぴえんの高貴なあざとさを見習って欲しい。
従って、「勝たない」の加工は「勝たぬ」くらいに強さを残しておくか、あるいは「勝てん」などといったフランクさを加えるという選択肢もあるだろう。
「勝たん」にも良い点はある。そこはこれを読んだあなたに考察して欲しい。