自分という主人公について

生きててよく思うのが「立候補じゃない」ということ。

産み落とされたのは自分の意志じゃないし、社会も人生も自分の意志で始めたことなどない。強制的に物語の主人公にされて、責任を押し付けられて生きていくことに不満というよりは疑問を持っていた。別に親を恨んでいるわけじゃないし、人生で楽しいこともそれなりにあるけどしっくりこない感覚をずっと抱えてきた。

何が言いたいのかというと、「生きることそのもの」に責任感を持たなくてもいいだろと。もちろん自分の言動には責任が発生するのは当然だけど、自分の存在そのものに責任は必要ないのではないかと。

自分の人生は自分が主人公で、どれだけ嫌でもその役は死ぬまで降りられない。

劇や漫画のようにシナリオも幕間もない、見せ場もない。あの主人公たちのように美しくもかっこよくもないまま、誰にも見つからず、観てもらえない埋もれたまま物語は確かにここにある。


それは悲劇なのか喜劇なのか

一生わからないまま生きるんだろうなと思う


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