なんのためにアニメを観るのか

twitterでアニメを見ることに対して【高尚な理由】を求めるツイートが話題になっている


フィッターョR氏のそんなツイートに来た「楽しむため」という意見に対し、

「楽しいから」という意見が多数寄せられた


「楽しいから」

この言葉はただ何も考えないという意味ではない。

(そもそも何かを観る行為は完全に思考停止で行うには難しい)

「楽しい」の中身は人それぞれで、更に言えば作品によっても違うもので細かく言い出したらきりがない。


アニメのジャンルは多岐にわたり、

ファンタジー、恋愛、ホラー、SF...etc

その世界の中で描くテーマや描写も多種多様であり

熱くほとばしる情熱

人間の弱さ

胎の中の悪意や嫉妬

生と死...etc

そこから
爽快感、発見、内省、ほっこりする、
報われない心情を照らしてくれたり、温かい世界を魅せてくれたり、大迫力でワクワクさせてくれたり、世の中の理不尽を皮肉ってスカッとさせてくれたり、時には恐怖したい、気分を沈めたいこともある

様々な思いを僕らは作品に満たしてもらうのだ。


アタマの中をスッキリさせて、キュンキュンしたり笑ったりするのも

色々思考したり考察したり語ったりすることも

「楽しいから」の中に含まれる要素である。



その意見に対し、フィッター氏は


と反論しているが、

そもそも「差別やいじめに加担し、娯楽にしてしまう」とはいったいどういうことだろう。

裏社会を描いた漫画を描くことは、その漫画で裏社会の人間が生き残っていたら裏社会の肯定しているんだ!とでも言いたいのか?

戦争アニメの制作者は戦争したがっているとでも言いたいのだろうか?

差別描写やキャラクターの差別発言を【制作側の悪辣な思想】としたくてたまらないように見える。


言うまでもなく、戦争やいじめや差別迫害を描いた描写を好むからといって

その人が戦争やいじめや差別迫害”そのもの”を楽しんでいることとイコールではない。

先ほど書いた「楽しい」のほかにも、アニメを含めた創作を観る要素の一つに

【気づき】

がある。

自らの行いや人生を顧みるきっかけになったり、今後の自分の意識を変えることもある。

知らないことを知ることもできる

例えば視覚障害を描いた漫画で視覚障害と言っても障害度合いや内容が違うこと。直面する不便、見える人に対する複雑な気持ちなどの描写、言葉を読んで
なんとなく知識としておぼろげに知っていただけのことを「意識」するようになった(ざっくり言うと自分の当たり前が誰かの当たり前じゃないということ。わかったふりはわかってないことで完全に理解はできないということなど)

障害を持ったキャラが差別される描写もあるが、読者は差別するために見ているわけではない。

必殺仕置き人のような漫画を観ている人は人を殺すために呼んでいるわけではない。

○○のような描写を観ているから、娯楽にしているから○○に加担しているなんていい出し始めたら何もできなくなるし、素晴らしい出会いや大切な気づきを逃してしまうことにもつながる。


あえて「楽しい」と別にして書いたけど、その気づきも楽しかったり、他の部分(キャラや描き方、ストーリーなど)によって気づきが深まったり、根付いたりする。

「楽しいから」の一文には様々な意味がある。

「楽しいから」と言っている人が何も考えていないという

決めつけるのはそれこそ何も考えていないのではないかと感じる。


更にフィッター氏のお仲間に至っては








これは醜い


この人たちは何をもって製作者や視聴者の心情を勝手に決めつけ、アニメの楽しみ方にまで格差をつけたがるのだろうか。

自分ら以外のファンを見下し、作品や作者に無根拠なレッテルを貼りつけることがこの人達の言う【根源を問う】ということなのだろうか?

考えた結果そんな思考にたどり着く人間が差別を許さないなんて言っても

なーんの説得力もない。

そもそも最初に書いた通り創作の楽しみ方など千差万別十人十色。
善悪もどちらが偉いなんてものも本来はないもの。

例えば
「ここはこう素晴らしいのになぜわからないんだ」
「この部分にはこんなメッセージが込められているんだ」
みたいな解釈や読み取りのこだわりで熱くなったりするのなら気持ちはわかるが、それはあくまで楽しみ方・見かたの一つであるだけ。

他人の楽しみ、楽しみ方にすらケチをつけることがこの人らの言う【考える】ということなのか


あと
日本のアニメに対し、「似たようなものばかりで溢れ衰退する」と言っている御人達は[興味があるけどあまりアニメを知らない]みたいなので是非アニメを観ることをお勧めしたい。

(日本のアニメが衰退するなら現場の労働環境の悪さが原因だろう)


そして極めつけが


>脳に麻薬物質でも突っ込んで、死ぬまでヘラヘラよだれ垂らしてりゃいいじゃん。

なぜ楽しむために思考をスッキリさせる、要はリラックス状態でアニメを観ているだけで、「麻薬物質でも突っ込んで死ぬまでよだれ垂らしてろ」なんて暴言吐かれらければいけないのか。

そんなこと言うならメンタルが辛いときにリラックスするためにアニメを流している人なんかはそこまで言われなければいけないほどのカルマを負っているのか?

このツイートを本人は「的を射たことを言ってる俺」とでも思っているのだろうが言ってることはただ自分が認めていない感覚に対するヘイトでしかない。

ここでフィッター氏のツイートをもう一度振り返ってみよう


>気づかぬ間に差別やいじめに加担し、それを娯楽にしてしまうようになってしまう


先ほどのへぼやまのツイートを始め、この人らこそ創作者、アニメファンを差別迫害、侮蔑しイジメることを娯楽にしてしまっているとしか思えない。



倫理や道徳などの要素を廃してツイートしているから、ただの楽しみ方の一つに酷いヘイト発言をぶつけることができる。

そのくせなぜ自分たちは作品や感受する人に対して差別・侮蔑的だのと検閲ごっこができるのか


何度も言うが、戦争やいじめや差別迫害を描いた描写は”そのもの”ではなく戦争シーンの迫力を楽しむこと(そこで死や悲しみを意識しなくても)は
あくまで迫力ある画を見ているのであって、戦争そのものを楽しんでいるわけでもなければ、殺人願望の証明でもない。

○○のような描写を観ているから、娯楽にしているから○○に加担しているなんていう理論は【正義のミカタ「自分!」】を演出するための【悪役】を求めた人間がひねり出した世迷言に過ぎない。



この人たちが向き合うべきは「エッチなアニメ」でも「男の好きそうな描写」でも「楽しいからアニメ見てる人」でもなく
『自分たちの加害欲』である。






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