植松さんと久々に話して感じたこと
先日植松鉱治さんと村田先生と亀山耕平さんと4人でご飯に行ってきました。
植松さんが日本に帰ってきていることはもちろん知っていたけど、短い時間の中で僕から誘うのは何か違うなと思って、会いたいなー、思いながら次会うのはいつ頃になるだろうかと思っていました。
でも亀さんから今ご飯来てるから至希も仕事終わったらおいでよと誘ってくださり、久々に会うことができました。(亀さんありがとうございます)
一緒にご飯行っているとなんだか不思議な気分になりました。
僕の恩師と思っている数少ない人が一気に3人も集まってるというのと、このメンツ(日本を代表する選手だった人たち)の中に僕がいることです。
4人で色々な話もしましたし、改めて直接アメリカでお世話になったお礼も鉱治さんにすることができました。
その中でも僕が特に印象に残っている話がありました。
体操教室の指導を楽しめているか?って話で、鉱治さんは子供だったり、楽しくってところよりも、もっと上のレベルの一皮剥けたら化けそうな子を見るのが合ってると言っていた。
そこで僕は「僕にはなんでも楽しむ能力があります」という話になった。
正直最初は今ほど楽しくなかったし、体操教えるなら選手の方を教えたいと思っていた側だった。
でも楽しもうと思って物事に取り組んでいると、主体的になるし、できるようにもなるし、結果的に楽しくもなる。
それがあって今は楽しいです。という話になった。
でも植松さんはその気持ちもわかるけど、危うさもあるよという話をしてくれました。
どうせその期間過ごすなら楽しんだ方がいいやろって気持ちもわかるし、実際そうしたこともあるけど、そこの視点に降りてしまうと、トップの人が何を感じて、どういう世界を見ているのかを感じずづらくなってしまう。
植松さんの強みはそういうところにあるからこそ、そこから離れてしまうと、その感覚を失ってしまう。だからこそあえて楽しまないようにしている。
みたいなことを言っていた。
あー。なるほど。
って感じで納得した。
僕も選手から指導に切り替わった時は、自分の言うこと聞いて練習したら絶対に上手くなるのになーとか、そう言うことばかり考えていた。
でも今はよく言えば角が取れてきているって感じかな。
僕としては指導者としてオリンピック選手を育てられないなと感じたのでそこの世界は捨ててはいたけど、この意見は僕の経験からもピッタリと当てはまったような気がした。
言葉的に言えばミイラ取りがミイラになったって感じ。
実際に最初は仕事だし、責任感で始まった先生という仕事も今では楽しくてやりたいものの中の一つになっている。
それ自体は子供にとっても自分にとってもいいことだからそれはそれで置いといて。
でもいつも自分視点だけではなく、客観視して上から自分を見て、本当にそれがやりたかったことなのか、人生を賭してやりたいことはなんだったのか?という振り返る時間だったり、感覚は絶対に無くしてはならないなと思った。
この時間で改めて自分の強みと弱みを見つけられた。
そしてこの時間を通してなおさら強く思ったことが、こういう尊敬していて、素敵だなってもう人たちに胸を張って接せれて、これからも関わっていたいなって思った。
3人とも次のステージで活躍している最中で、高みを目指している。
僕も負けないように、そして自分に誇りが持てるように毎日を大切に進んでいこうと思った夜でした。
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