音を楽しむと書いて音楽。
僕は音楽が大好きです。
みなさんも音楽が好きですか?
今回は古くからいつでも人々の隣にあった音楽について書きたいと思います。
最近、音楽について感動したことがあります。
新型コロナウイルスの感染拡大のため多くの人が自粛生活を送る中、アーティストの星野源が『うちで踊ろう』という曲を演奏する動画をインスタグラムに投稿しました。
そして、「この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」とコメントを添えています。
実際に、Twitterなどで一般人からミュージシャンまで様々な人がこれに賛同しセッションする動画がたくさん上がっています。
この一連の出来事を見ていて僕は感動しました。
音楽はなんて美しいんだ。
こんなにも心を潤し、人を繋ぎ、すべての人をもうひとつの世界へ連れて行ってくれる。
そんな音楽は古くから地球上のあらゆるところで愛されてきました。
これも星野源の『Pop Virus』という曲の中にこういう一節があります。
“始まりは 炎や棒切れではなく 音楽だった"
この一節について星野源はこう言っています。
「はるか昔、世界のどこかで初めて音を出してそこに声を乗せた瞬間があるはずなんです。」
僕も、この瞬間を想像してみました。
猿人が自然のものを使って何らかの音を奏で、そこに言葉とまではいかない歌声を乗せた瞬間を。
そして、きっとその頃から人間には今となんら変わらない音楽を楽しむ能力があったのでしょう。
音楽のすごいところはそこだと思います。
初めて聴いた曲でも、手拍子ができたり体を揺らしたりできますよね。たとえ昔の音楽や遠いところの音楽でもです。クラシックや世界の民族音楽がその例です。
何回か聴くと、次は声を乗せられるようになります。
手を叩いて、体を揺らして、歌を歌って。僕らは音楽と一体化することを本能的に望んでいるのでしょう。
これってすごいことだと思いませんか?
音楽がなくても食べ物があれば死ぬことはありません。それでも、この能力が人間に備わっていることは驚くべきことだと思います。
音楽を享受する心はまさに神様がくれた人生を楽しむためのプレゼントなのでしょう。
こう考えてくると、音楽の前では万人が平等なのではないでしょうか。
音楽には、作る者、奏でる者、歌う者、踊る者、聴く者が関わると思いますが、その音楽はここに挙げた誰のものでもないと思います。
作曲者の物でも、演奏者の物でもありません。
ここに関してもっと詳しく考えてみます。
音楽の最小単位はひとつひとつの音です。
例えば、ギターの弦をひとつ弾くとその音が出ますよね。その音が僕らの耳に届き、僕らを楽しませてくれます。
演奏者の指が弦を弾き音波が空気中に放たれた瞬間、音楽は誰のものでもなくなると僕は思うのです。
心地よい音の並びを作るのは、作曲者の仕事です。実際に音を出すのは、演奏者の仕事です。しかし、僕たちを楽しませているのは、誰のものでもない放たれた音楽そのものなのです。
ですから、音楽は作曲者や演奏者の生産物であるかもしれませんが、所有物ではないと思うのです。
音楽を楽しむという表現をすれば、作る者も奏でる者も歌う者、踊る者、聴く者と全く同じ立場だと思います。むしろ、音楽に楽しませてもらっているくらいのスタンスでもいいかもしれませんね。
Q.音楽は誰のもの?
A.みんなのもの。
ですね。
それでは、次の問を立ててみましょう。
Q.音楽は何のためにあるのか?
前半の話から答えると、
A.人生を楽しむため。
ここまで来ると、
じゃあ、人生は何のためにあるの?
という問いにも答えられそうな気がしてきますね。
最後に一言。
ライブに行きたい!!!!!
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