自分(たち)でやるという感覚

お・も・て・な・しという言葉が流行したウラに何があるか?おもてなしをしているという『偽善者的な満足感』と、自分はおもてなしされるに値する人間だという『傲慢さ』が日本人の無意識の中にあるのではないか。

コインに裏表があるように、朝が来れば夜にもなるし、陰陽表裏一体は宇宙の法則である。正義のヒーローやヒロインは悪役がいないと成り立たない。うちの子がブラッククローバーというアニメにはまっているのはSnow Manきっかけであるが、努力と根性だけでは一線を越えられず強くなれない主人公が、いわゆるブラックなパワーをきっかけに覚醒する感じが好きだ。

偽善者的な感覚も、傲慢さも、私たち人間の中には存在しているという事実を信じたくない、認めたくない、現実から目をそらしたくなる気持ちは、よくわかる。『だって人間だもの』というのは相田みつおさんの言葉だ。

まず、そこからはじめないと、と思う今日この頃。今、向き合っている目の前の現実をどこまで『自分ごと』として捉えられるかがSDG’sを実現する鍵だと思いませんか。

どこかの誰かがやってくれる、そんなのカンケーねーと自分のことだけを優先してきた結果が、今の地球環境破壊にもつながっている気がしませんか。

運動会のあと片付けを幼稚園の職員(事務課長さんも幼稚園に含む)の少数精鋭で、あれだけ大掛かりだった準備や会場を短時間で片付けられたのは、みんなが『自分事』ととらえていたからであり、小さなチームだからこそできたんじゃないかなと思う。

どこか第三者的でよそよそしい感覚の人間がもっと多ければ、あんな風にはできないし、本当にいいチームだと思う。そういう大人の雰囲気は子どもたちにもすぐに伝わりますよね。家族の不仲はもちろん、大人や兄弟、先生も含めて周りの人間関係を敏感に察知できる才能がありますよね。

だから、子どもたちが本当に楽しそう、活き活きしていますね、と見学の方に言っていただけるのは私たちへの最大のほめコトバだと思います。勿論、楽しいだけがいいわけではありません。また「先生たちが良く動いてくれるので保護者は何にもせんでいい楽な幼稚園やで~」というのでは正直困る。

そういう方が実際にいるわけではないと信じたいが、それぞれの立場から協力したり、影響されたりする双方向の関係性でありたいと願う。これまでの学校と保護者という一方的な構図ではなく、互いにWINWINなより良い関係が、NEWノーマルな時代に相応しい関係ではないかなと思ったりする。

保護者と職員は、子どもたちという車軸につながる両輪ですが、左右タイヤがまったく同じ回転数だと、車は上手に曲がれないので、いわゆるスポーツカーには、左右のタイヤの回転差を吸収するLSD(麻薬ではない)という装置がついています。

管理職という仕事は、LSDのような役割で、職員同士や職員と保護者、職員と子どもたち、といった関係を良好に働かせるためにあるような気がする。


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