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ITやAIやロボットなどにより、様々な発達ができる時代、多様な価値観がある時代、特性を古い価値観の中で「発達障害」と呼ぶのをやめませんか?

「発達の障害」と言う場合、そこには定型の、普通の、ちゃんとした、まともな「発達」が基軸にあり、その発達ができない事を障害としてきました。

しかし、その発達には少し古めの価値観の中での目的が存在していて「〇〇できるようになる」とか、今までの望ましい価値観の階段だったりします。例えば「文字が手書きでできるようになる」とかもその一つ。

でも急速な技術の進歩で、ほとんど手書きをしなくなった現代人にとって、手書きできないのを「発達障害」として呼ぶのはどうなのでしょうか?

視力が悪い人はメガネをかければ良くて、誰も「視力障害」とは呼ばなくて、むしろ人数が多いから日本人はメガネするぐらいにもなったりしてます。

価値観も変化して、道具も進化している中、元にしている物差しが古いまま、古いままで居たい人が、特性や個性すら「普通ではない発達障害」というような呼び方をするのは、もう違うように思います。

その古めな発達の指標の大きな原因となっているのは、「学校での評価」と「病院での診断」ですが、そのどちらも、とても古くてデジタルを受け入れられない風潮があるとのこと。

私たちは、その言わば取り残されている業界の指標に沿って、劣等感や価値を植えつけられてしまいがちですが、もっと広く、教育や医療だけを見ずに、社会を見て判断してゆく方が、現代社会に生きる子をバランス良くみてあげられるのではないでしょうか。

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