言葉って単なるコミュニケーションするための道具なんですよね
イケダハヤトさんのこちらの投稿
……を見て思ったことをメモ。
漢字だらけの文章というものは、ぱっと見の印象からして「難解」です。難解であることは、自分を強く見せたい人間にとって、都合のよい「バリアー」になります。「無知な人間」は関わってこないように、自分の世界を閉じることができます。
漢字を使いまくることは「武装」だというのはすっごくおもしろいですね。
日本語って音声言語
日本語って元々は音声言語しかなかったのが、中国から漢字が入ってきたことで言葉を持ちました。
その影響でしょうね。外の世界にあこがれるっていうのはたぶん昔からあったみたいで、ずーっと日本でも漢字、つまり外国である中国の文字が正式な文字だったんです。なんか外国の「漢字」ってカッコいいから。
だからひらがなが生まれていても無理して万葉仮名で「可名市位(かなしい→適当ですw)」みたいに公的な文章では書いていたみたいで、ひらがななんか使うと「そんな軟弱な文字使うなんて!」みたいに。まぁ女性が主に使っていたので男尊女卑の考えもあったからですけど。
カタカナ語も武装ですね
漢字もだけどカタカナを連発するのも武装ですね。カタカナというか「カタカナ語」ですね。「最近インソムニア(不眠症)で身体がつらい」とか。こんなの使う人おらんか(笑)。
でも会社にいますよね、やたらカタカナの難解な言葉を使いたがる人。
どっちにしても言葉ってコミュニケーションの手段にすぎないから相手に伝わらないと意味ないんですよ。
カタカナ語で言うと「コミュニケーションツール」ってやつですね。すみません(笑)。
言葉って単なるコミュニケーションツール
これって意外と知らない人が多いんです。
言葉は人間同士が交流するために発生したのに、それを伝わりにくくして伝わらないことで「え? わかんないのこの言葉?」って優越感を得ているのはオカシイですよねー。
こういう発想だから日本でいると英語も上達しないんですよ。日本における「英語」って勉強するためのものになっています。英語も日本語も単なるツールで、ほかの人と交流するための道具なんですけどね。
ん? なんか英語学習の話になりましたが、とにかく日本って外の世界、言語に憧れる習性があるみたいで、それはそれで許容範囲が広くておもしろいんですけどね。結婚式はキリスト教だけど葬式は仏教……みたいな。
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