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パンピーが治安の悪い街でラッパーになった結果www 「パンピー、渋谷へ行く Vol.1」

そんなエキサイティングな中学生活を送りつつ、あの日校庭で流れた「証言」の衝撃から、数ヶ月。僕は徐々にHIP HOPにハマっていった。

パンチパーマやニグロパーマ、ガルフィーやヴェルサーチのジャージにサンダル。

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コテコテのヤンキーファッションをしていたら、この街では散々な目にあってしまう。
でも年頃だし、悪ぶりたい。
そんな思春期の僕らにHIP HOP文化とB-BOYファッションはバッチリハマった。


やっぱりまずは格好から入った。

町田には「THERE」「CHAP」「STRIP O.N」、相模原にも「ビーズウォーク」とか、それっぽい服が売っているお店はたくさんあったから、毎週のように顔出してチェックして、「Timbarland」「エディー・バウアー」なんかの、アウトドアブランドのオーバーサイズのダボダボの服を買った。(これが当時のラッパーの流行だった)

腰パンして、靴はTimbarlandのブーツナイキのスニーカーでキメる。バスケ部だったし、ファッションにスニーカーをあわせるのも楽しかったな。

たまに左足のパンツの裾をまくりあげたりした。これは、アメリカのラッパーが「銃を持っていない」とアピールするための行為で、皆真似していた。

もちろん、銃なんて見たこともない。


次に音楽。

インターネットが無い時代。俺たちは音楽を知るのに必死だった。

近所に、後にサイプレス上野くんなども働くことになる「ディスクユニオン淵野辺店」があったから、中古で安くなっているHIP HOPのCDやレコードを買い漁った。
MIX TAPEもたくさん売っていたから、良さげなのを買って、後ろの曲名を見て気に入ったらレコードを探した。

深夜ラジオは情報の宝庫。

「YOU THE ROCKのHIP HOP NIGHT FLIGHT」で日本語ラップをチェックして、「Da Cypher」で洋楽をチェック。
録音したり、メモ帳にメモったり。
めちゃくちゃ大変で、お金もかかったけど、それが何だか楽しかったんだよね。
少しずつ耳は肥えていった。 (ような気がしていた)

ヤンキーの街。
そんな地元にも、小さいながらもHIP HOP文化はちゃんと根付いていた。
後に、地元をレペゼンするラッパーがいて、街にCLUBやライブハウスがあって、いわゆる「町田のシーン」があることを知るんだけど、それはもう少し先の話。


そんなある日、同じクラスの友達が言った。

「あのよ…今度の日曜、渋谷…行ってみない?」

「し、渋谷!?」

日本のHIP HOPの聖地、渋谷。
当時の俺たちにとっては、ニューヨークに行くくらいの冒険だった。


僕たちは中2の夏、パンドラの箱を開けた。

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