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10年前と現在。今までとこれからの方向性の変化について。

久々の投稿、ご無沙汰しております。よーそろ代表の井上明です。

この土曜日曜は、新型コロナウイルス感染拡大で政府が自粛要請してきた都道府県境をまたぐ移動が19日全面的に解除され迎えた初めての土日でした。

土日共に天気もよく、雨上がりで見晴らしも良く、優しく涼しい風がなんとも心地良いお散歩日和な2日間でした。


お休みしていたゴールデンウィークが開け、徐々にお店を開けていきました。心配してくださる県内の多くの常連さんに来ていただき沢山の励ましのお言葉を頂きました。嬉しや。嬉しや。

御手洗での私たちの活動は関わってくださる皆さんと一緒につくってきたものであるということを改めて感じ、胸が熱くなりました。


大幅な売上減から改めて考えた今までの方向性

事業全体の4月の売上は50%を切り、5月は63%減に。
金融機関からの借り入れ、持続化給付金や雇用調整助成金の申請、商品製造やEC販売など、できること思いつくことは何でもやり、なんとしても全員でこの状況を乗り越え、より強く進んでいこうと決意しました。

三密を避け、不要不急の外出を避ける…新型コロナウイルス感染症の感染拡大で社会がどのように変化し、その中で求められるものがどのように変わるのか、色々考える時間をもらいました。

テイクアウトや通信販売、家時間が増えるだろうことは今の状況になる数年前からわかっていたことで、そのような傾向が強まれば強まるほど人は何を強く求めるようになるのか現状と照らし合わせながら改めて考えました。私たちが御手洗でコトをはじめ、今までやってきたこと、方向性は正しかったかどうか。。

結論は…


「方向性に変更なし!進めっ!」

ということでした。


10年前に出会った御手洗という場所の魅力と可能性


約11年ちょっと前までは離島であったがゆえに御手洗の風景や文化、建物、暮らしは世界で進む都市化・効率重視の波に飲み込まれず、ひたすらにゆっくりと歩みを続けていました。もちろん今も。

コンビニはないし、家の隙間風はスースーだし、まちを歩くと誰かに会って立ち話、あっ何せんにゃいけんかったっけ?と忘れるほど途中途中に出会う近所の人と話しすぎてしまうゆるりとした時間もあり、急ぐ時も挨拶や一言が必ずついてくる。

常に程よいソーシャルディスタンスでありながら、神社で日向ぼっこをしながら話す様子や「今日のご飯あるんね」と気にかけてくれる近所のお母ちゃん、80歳過ぎの人同士でも○○くん、○○ちゃんと呼び合い笑い合う様子が日常の風景。

よそ者の私は、なぜそんな日本の昭和的暮らしが残っているのかと新鮮さを感じその心地よさに引き込まれ、もっと知りたい、もっと関わりたいと始めた観光ボランティアガイドでした。知れば知るほどその魅力に引き込まれ、その中にあって日本人が大切にしてきた時間や距離感という”御手洗スタンダード”が日本が今まで目指してきた欧米のスタンダードに何か別の在り方や方向性を示すことができそうな気がして。それを伝える挑戦のために江戸時代から続く船宿を改修したカフェをつくったのが私のここでの事業のはじまりでした。

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とはいえ、私たちの事業展開もまだまだ今までの流れを踏まえたものとのバランスを取りながらであり、本当に目指すこれからの古くて新しい”御手洗スタンダード”の実践とはまだまだ程遠いのが現実ですが。

進路に変更なし!の理由

話は飛んでしまいましたが、今までの活動と方向性が間違っていなかったと感じる部分に関して話を戻します。

このコロナ禍でテイクアウトのお店やサービス、リモートワークも進み今までの無駄さと新たな便利さを感じる一方で、リモート疲れ、自粛疲れが出てきたように人が持つ五感をフルに使いたいという本来持つ人間の生命的・肉体的欲求の存在の強さ(もしくは使える感覚を封じて偏った感覚だけを使う疲れのようなもの)を浮き彫りにしたようにも思います。

しかしながら、広島市内から東京に飛行機で行く時間と同じくらいかかる2時間弱の時間をかけて(by car)、しかも有料の橋を渡ってわざわざ瀬戸内海の真ん中に浮かぶ島へ来る、その価値はあるのかということ。

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この土日は天気も良かったおかげもあり、一年で一番多くお客さんが来てくれていたゴールデンウイーク並みの忙しさでした。今までの見えない縛りから一気に解放されたように。

この週末はどこもお客さんが多かったと聞きます。
しかしながら、ここには五感を刺激する風景・空気感・味覚だけでなく、行かなければ感じることができないものがあることを改めて感じます。今敬遠されがちな”肉体的距離の近さ”ではなく、遠い昔にあったはずの文化、暮らし、風景がとても近く感じる”時間的(時代的)距離の近さ”がここ御手洗にはあるように思います。それは新しくつくったものではなく、どこかから持ってきたものでもなく、昔から少しずつ形を変えながらもゆっくり、ゆっくりと続いている風景や暮らしがあるからこそ。タイムスリップしたような街だとよく言われますか、まさにそういうことなのでしょう。

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忙しい日常を過ごす現代人が元々持っている感覚や時間が刻むスピードを再発見する場所なのではと10年前に出会った船宿カフェ若長の2階の雨戸を初めて開けたときのことを思い出しました。

コロナの影響で外出自粛、家籠りの時間が増えれば増えるほど「感覚を開放しに行く場所」として”わざわざ行きたい場所”になりうるのではないかと改めて思いました。御手洗という地名が”お清めの場所”という所以ももっているように。

ただ、何もしなくても良いというわけではなく、やはりそれらを引き立たせるための”何か”は必要に思います。食であったり、体験であったり、サービスであったり。それもあればいいというわけではなく、また来たいと思ってもらえるようなお客さんが心動くようなものでなければ引き立てるどころか、全体の良き印象すらもダメにしてしまう可能性があります。

今ここで何が求められていて、自分がいいと思えるものがお客さんの”いい”とずれていないか常に提案しながら修正していかなくてはと思っています。
私もまだまだ勉強の日々です。


また、このコロナ禍にあって改めて「この方向で良し!」と思えたのは、長く関わってくださっているお客さん(というより同志的な方々)の思いを改めて感じることができたことや、状況の変化により近くの県内から初めて来てくださった方々の何人もが「こんな素晴らしい場所があったなんてびっくりした」「絶対また来ます」「次はあの人を連れて来たい」とマスクで隠れた表情からもしっかりわかるような表情でわざわざ伝えてくだったことからも。

何を受け取ってもらいたいか、伝えたいか

古いもの・続いているものの中に価値があると、今までもことあるごとに言ってきました。一方でシニア向けパソコン教室も運営しているように(おかげさまでこちらは10周年)新しい技術や機械、サービスも常に追っておりその素晴らしさとこれから変化する世の中と生み出される新しい価値も楽しみでなりません。

なぜ古く、続いているものに価値があると感じるのでしょうか?

それは、私が様々な偶然と奇跡のドラマの先に存在している一人の人間であるように、建物の柱の傷や落書きもそこで生活した証であり、先人たちの様々なドラマの中で奇跡的に生み出されたもので、これから先も様々なドラマを生むであろう途切れることのない連続した未来を想像するからかもしれません。

一組限定宿「閑月庵新豊」の改修前に貼ってあった顔幅20センチほどの若かりし長嶋茂雄さんの顔はさすがに剥がしてしまいましたが(笑)

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御手洗で今まで続いてきた地域の価値感をより深く知り、これから訪れる社会の変化とニーズを広く集めながら、仲間たちとこれからの社会に必要であろう価値を提案していけたらと思っています。


昨日今日のお客さんの戻りが続くことも今はまだ考えにくく、状況の変化により大きな浮き沈みがあるかもしれません。
それらも想定しながら、できること、思うことは全て実践していこうと思っています。


しっかり舟漕ぎます! 

エッサ!ホイサーっ!

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