おじいちゃんの一周忌と私の過去の話。

今年の2月の18日は祖父の一周忌になる。
3月の8日は大切な友人の六周忌。

冬の終わりは毎年嫌な気分で、毎晩のように泣いて、昼間も鬱々としてる。春になると自律神経失調症なのでまともに走ることすらできないんですよね。

夏は夏で体温が上がって吐き気やめまいが多くて死ぬし、

冷静に考えると僕は秋、冬しかまともに動けないんですよねー。

適応障害もあり、私の体調不良の9割は精神的なものだから、大半の人からはサボりと思われるけどここまで体調不良を極めてくると「今日は大丈夫だね」「今日は無理そうだ」って挨拶が当たり前になって、月一あるかないかの体調が悪くない時は拍手がもらえます😇

話を戻すと、去年の2月の7日は友達の家にいました。
鍋食べてお酒飲んでゴロゴロするぞ〜!って時に親からラインが来たんですよ。
『じいちゃんが危篤だからお父さんが帰ってきたらすぐ行くけど、あんたは来れる?」と。
兄二人も仕事が終わったらくる予定で
私は次の日休みだけど私の住んでいる所から親の実家は4.5時間かかるんですよ。
なのでちょっとめんどくさいなーって
とりあえず、当時は代車だったのでそんな遠くに行ってまた事故をしても困るので…
でも電車は高いし、友達の家からうちに帰ってスーツ持ってタクシー乗って駅まで行く…ってなると朝イチの電車に乗らなきゃ…4時起きで帰宅して準備して五時に出て〜…えぇ、怠い。
と思ってしまいまして。罰当たりだねw

そしてとりあえずお酒は諦めて、鍋だけ食べて寝たんだけど起きたら5時半。
盛大に寝過ごしてw
帰ってる時間もないからとりあえず車で飛び出して、昼にようやく式場に着きました。
夜中のうちに亡くなってしまい、すぐに火葬。
もうちょっと待ってくれてもよかったのに…
火葬の五分前に着いて、生前に好きだったタバコを一緒に燃やしてもらいました。

その後、家族と母の兄と6人でお経を聞いて解散。


今回は、家族四人と彼氏と私で一周忌のお参りに行きます。
お参りが終わったら旅行して帰るのですが…

なにげに彼氏とは初旅行なんですよねっ!
私の地元に遊びに行ったり、ライブに行ったり、ラブホには泊まりましたが…
観光地に行くのは初めてなんですよね。
私の母の実家は金沢で、観光としても、食べ物や温泉、風景。いろんなものがあります。
僕は金沢=おじいちゃんに会いに行くついでに親戚の料亭に行って釣りをする程度なので、兼六園や観光地に行ったことないのですが…
今回は行きたいなって。
なんせ初彼氏お披露目だし!☺️

おじいちゃんには悪いけれど
年に1回会うか会わないかだったけど、兄のことは覚えているのに、私のことは忘れているというのが多々あり、小学校までは一緒に住んでたこともあり、よく知った人が別人になってしまった様で、それがとても怖かったんですよね。

大切な友人が亡くなった後、ショックからか60歳で旦那さんが認知症を発症し、私のことを一切忘れてしまったのも、数年後にボケ始めたおじいちゃんに会いたくなくなった原因の一つだと思います。
私のことを「そんなガリガリじゃ鶏ガラにしかならん!皮を剥いでスープにしちゃろか!」と罵倒しながらご飯作ってくれたり、山に行った際にとってきた竹の子や今は珍しい自然薯を食べさせてくれました。
友人が大好きで会いに行きましたが、旦那さんのことも、とても大好きだったんです。
去年の終わりに会いに行きましたがたまたまデイサービスで居らず。とりあえずお土産だけヘルパーさんに預けて帰宅しました。

旦那さんの介護用ベッドの脇に簡易トイレがあり、その蓋をガムテープで固定して張り紙がありました。
『蓋の上にトイレをしてしまうので蓋を閉めないでください』
認知症とはどれほど恐ろしいことか。
あんなに軽快に笑って私を鶏ガラと呼び、猫と散歩に行ったり、たけのこ取りに行って自転車を時速50キロで飛ばすおじさんがたったの1年でここまで落ちぶれるのかと思うと、会いに行くのも怖くて。
久しぶりに顔を見たかったと思う反面、会わなくてよかったと思う自分が少し情けなく思いました。

おじいちゃんは認知症では無いものの、亡くなる直前は81歳だったのでボケてもおかしく無い年でした。なんせ年に一回しか合わないのだもの。1日が誰も来ず、イベント以外では特に何も無い、長くて寂しいものの変化の少ない老人ホームではボケも早くなって当たり前なのかもしれない。

人は、いつ亡くなるのかわからない。
一瞬。たったその一瞬で目の前からいなくなってしまう。それを知らないのか忘れたのか
平気で、簡単な理由でブロックしたり
お粗末な理由で嫌ったり害したりする理由が私にはわかりません。

友人が亡くなったのは私が中学に行ってる間でした。
前日にカーテンを新調したけど腰が痛いから代わりに裾を合わせて欲しいといわれ、残りは明日やるねと別れた次の日でした。
死因は不明。亡くなる2.3日前から飲んでいた喘息の新薬によるアレルギーの可能性が高いくらいでしたがやはりというか、他人には教えてくれませんでした。
鼻や耳から血を流していたそうです。

あんなに落ち込んで話す旦那さんはとても小さく見えました。
普段は素っ気ない母が、私がカーテンを直し終わるのをコーヒーを飲みながら待っててくれました。
母から見た私も同じように見えたのかなぁ。

彼女が亡くなってからは後を追いかけることしか考えられず、彼女の残した言葉一つ一つを反芻して幸せになりたいと思う反面、彼女が喜ぶから幸せになりたいと思う自己矛盾に気がついてからは自分の心が何を望んでいるかわからなくて。必死に働いて勉強して家族との関係も修復できないほど壊れたこともあり、自分で自分を追い込んだ結果が今の私です。

17歳の最後の月に年上の彼氏と家出をしました。
自分を守ることだけしか考えてませんでした。
些細な喧嘩でしたが、家族は皆母の味方で、私を攻めました。どれだけそのことに孤独に感じたかもう覚えてません。ただ、辛くて、苦しくて消えたいと思ったことは覚えてます。
親は嫌いだったけど、同じ環境にいた兄たちは味方だと思ってました。
洗濯や掃除、ご飯の用意など兄の面倒を全部私が見てきたことを考えたら、私の扱いは兄以下だとやっと気付いて、気付いてしまったからにはもう戻れませんでした。

18になってようやく公共の相談機関の存在を知りましたが保護されるのは17歳まで。私は間に合わなかった。未成年でありながら未成年では無い18歳という歳は呪いだと思いました。
それからあの手この手と探りましたが、18を超えた子供が自立手段を得る以外に身を守る術や法律は何もないと気づいたのが19歳。
18は大人と言いながら携帯すら一人で契約できない人間がはたして本当に大人なのかと大いに悩んだ歳でした。

ちなみにその彼氏とは半年で別れました。別れた理由はDVでした。彼は世間体をいたく気にする人で、さらに職場の人が泊まらせてくれ警察に付き合ってくれたりと便宜を図ってくれたので別れた際のイザコザは特にありませんでした。ちょうどDVがエスカレートし、このまま死ぬんじゃ無いかと思った頃でした。
友人と出会ったのも、親も帰らずご飯もなくて死ぬんじゃ無いかと思った夏の日でしたし、幼い頃に誘拐されかけたときはヤ○ザ並の強面のおじさんに助けられました。
運の良い人生ですよ、まったく。
そんな時はまるで自分が世界に愛されていると勘違いしてしまうし
普段の運の悪さを思うと世界に見放されたんじゃ無いかととても不安になる。


そういえば昨日彼氏のお風呂上がりに頼まれて
ボディクリームを塗りながらマッサージをしたのですが、、
邪魔だからと指輪を彼氏に預けたのです。

普段はネックレスにかけてるんだけど、彼氏が指にはめてほしいと言うから珍しく指にしていた時です。

そしたら無くされてしまい。
家だからすぐ見つかると思ったのですが、まったく見つかりません。
部屋が散らかってるのもあるのですが、気づいたのが夜中で、どこで外したのかもいつから無いのかもわからず。とりあえずゴミ箱の中や流し、ベッドの下まで探したけど見つからず。

なくしたのは彼氏だけど私のものなので責任の所在ははたしてどこにあるんだ?って感じです。
なくした人が探すべきと思う私と他人の物だって認識の彼氏では掃除も進まず。
とりあえず彼氏は仕事なので解散して、私は一人でちまちま探していたのですが、、さすがにもう疲れました。

12月にもらったばかりでしたが、10月から特注で作ってもらった指輪でもあり、彼氏から婚約指輪として貰った物でした。
なんだか世界に一人ぼっちになった気分で、久しぶりの一人のベッドもとても寂しいです。

週末の旅行、とても楽しみだったのにここに来て気分かなり落ち込みモードです。
いや、名目は一周忌のお参りだからそれで良いのかも…いや、よくないか。

とりあえずお茶飲んで休んだらもう一度探します。

見つかるように祈っててくださいね。


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