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3時間半飽きさせない「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」はスコセッシの最高傑作?(本音レビュー)

スコセッシの最新作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」を映画館で観てきました。本作の前評判が良かったことと、前作の「アイリッシュマン」(2019年)が自宅のネトフリでしか観れなかったことに遺恨を残すほどの傑作だったので、個人的な期待は非常に大きく、万全の準備をして映画館に出かけました。

結論から言うと、リード文どおり3時間半、飽きることはありませんでした。デニーロ、ディカプリオという新旧スコセッシ作品の常連俳優に加え、助演女優のリリー・グラッドストーンの真実味溢れる演技が素晴らしく、3時間半の長丁場をグイグイ引っ張ります。周りを固めるキャストも素晴らしく、文句のつけようがありません。この俳優陣を率いたスコセッシのパワフルな演出力は、今年80歳という年齢を考慮すると本当に頭が下がります。

では、この映画がスコセッシ齢80歳にして自己ベストを更新する大傑作なのか?以下できるだけネタバレをせずにレビューを書きますが、特にスコセッシ作品に馴染みのある映画ファンは前情報をシャットアウトしたまま映画館に向かうことをお勧めします。Shut up and just go see itです。鑑賞後に覚えていたら、一読いただけると大変うれしいです。

題材は1920年代のアメリカ先住民連続殺人事件の顛末を追うサスペンスフルなネオ・西部劇。冒頭で白人のデニーロが、病を患う先住民のひとりに「今まで大変な迷惑をかけてきた、心からすまなく思う。」と深々と頭を下げます。このシーンだけで、スコセッシが晩年にこのテーマを取り上げた意図が透けて見え、映画全体を予見するように感じられ、最近やたら涙もろい自分の目から水が滲み出ます。

ただ、映画が進むにつれ判明するのは、この映画がタランティーノの「イングロリアス・バスターズ」や、それ以降の映画のように、普通のアクション映画と見せかけて実はラストにルサンチマンが爆発するタイプの政治的な映画とではないことです。これはスコセッシ自身もインタビューで言っていたのですが、タランティーノが自分でストーリーを考え脚本を書くのに対し、スコセッシは既存の原作に基づいて脚本も専門の脚本家が担当していることが多く、より俳優の演出に専念していることが窺い知れます。よって、この映画の原作が史実に基づいているので全体のナラティブにも一定の制約があり、必ずしも観客が喜ぶような展開にはならないのです。

例えば、ディカプリオの演じる主人公は先住民の妻を娶るのですが、搾取する側の白人の価値観からは逃れられずに悪事を繰り返します。その割には妻を心から愛している素振りを見せ、先住民の言葉を覚えたりと、先住民側の文化にも一定の理解を示すという矛盾を抱えたキャラクター作りになっています。その矛盾が魅力的なキャラとも言えるのですが、映画の観客としては、そんな煮え切らない、どっちつかずでアホなディカプリオにイライラしっぱなしです。妻を愛してるのか愛してないのか、ハッキリしてよ!と。先住民の妻の方も、他の親戚・家族がバタバタと死んでいくのにも関わらず、夫が捕まるまでダマされてることに気づかず、自分が死にかけてしまいます。早く気づけよ!と。

そんなイライラな展開が映画の後半ずっと続いてしまうのは、未確認ですが原作や史実がそうなっているからで、演出の問題ではないのかもしれません。ただ、ディカプリオ演じるキャラの価値観が、なぜ白人と先住民の間で揺れ動くのか深く検証されることなく、映画が尻すぼみに終わってしまったのはとても残念です。

ラストにかけて失速していき、取ってつけたようなラストシーンが付け加えられる構成となっているこの映画は、個人的にはアメリカン・ニューシネマ的なスコセッシの傑作群のひとつにはカウントしたくない仕上がりになっています。ただ今回は「ウルフ・オブ・ウォールストリート」(2013年)等とは違ってディカプリオの演技にも力みがなく、安心感があります。また、冒頭にも書いたように、3時間半を牽引する俳優陣の演技とパワフルな演出も必見と言えます。スコセッシはクリント・イーストウッドのように長生きして、次回作以降で自己ベストを更新してほしいなと思っています。

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