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黒澤明「一番美しく」(1944)|ラストシーンに宿る映画のマジック、戦争プロパガンダと反戦の境界線

相変わらず黒澤映画の全作コンプリートを狙っています。
今週はUNEXTにて黒澤明の「一番美しく」を見ました。

戦時中の1943年には、敬愛する木下恵介監督と黒澤明の二人がデビューしています。

1943年の黒澤監督のデビュー作「姿三四郎」は、柔道選手を中心とした青春映画といった趣き。当時は男女の恋愛ですら政府の検閲が入っていたらしく、大幅にカットされ、戦後の混乱でカットされた部分は残念ながら失われてしまったそうです。

前稿の「青い山脈」でも書きましたが、欧米的な文化の否定まではなんとなく理解できるのですが、男女の健全な交遊でさえ検閲が入るというストイックな戦前〜戦中の文化の背景には何があるのか、全然ピンとこないんですよね。

男女の楽しそうな恋愛映画って「ある夜の出来事」あたりが思い浮かぶのですが、これは1934年のアメリカ映画でした。「青い山脈」は1949年の映画です。日本で自由な恋愛が奨励される世の中になるまで、どのくらいの時間差があったんでしょうね。

本題に戻って「一番美しく」ですが、第二次世界大戦中の軍需工場で兵器用の部品を作るために働く「女子挺身隊」とよばれる女工の話です。

みんなで軍歌を歌ったり、工場の中には戦意高揚のコワい標語が掲げてあったり、結構生々しく当時の様子が伺い知れます。それだけでも一見の価値があるのですが、一番の見どころはそこではありません。

一番の見どころはラストシーン、親元から離れて会社に滅私奉公している気の強い女子が、家族の動向を知り、人間らしさを取り戻すシーンにあります。

このラスト数分に映画のマジックが込められており、自分は思わずウ〜ンと唸らずにいられませんでした。映画のオープニングからラスト前までに長い時間をかけて見てきたものの意味が一変してしまう。誰もがそこで立ち止まり、この映画の意味を考えるでしょう。

全体的には戦争のプロパガンダになっており、政府の検閲を余裕でパスする映画には見えるんですよね。前述の気の強い女子のように、「女子も滅私奉公して戦争に貢献しなさい」というのが映画のメッセージに思えるのです。

ただ、ネタバレを避けて具体的には書かないのですが、ラストシーンはなんだったのかと、自分で考える頭のあるオーディエンスには考えさせる構造になっているんですよね。

このとき黒澤監督は34歳だったらしいのですが、それまでにどんな映画を見たらこんなにさりげなく、力強いエンディングを持って来れるのかと。政府の検閲をパスする映画を作りながら、さりげなくメッセージを挿入する。完璧な処世術に見えます。

天才が天才である由縁と、黒澤のその後を暗示するこの映画は必見です。

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