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幼児のように


 ダガー どうして生きて帰ってこれたの?

 ミカエル 生きようとしたからさ。

幼児は、何も知らない。
ルール、マナー、法律、空気感は全て無視だ。
私たち大人は、いつのまにかこういったものに縛られている。いや、それを盾に使っている。
心の赴くままに何かを捉えることはできていない。

幼児のように、私たちは好奇心の赴くままに進み、階段を踏み外しては転び、泣き、階段を登っては喜び、笑い、そんな体験が幼児自身を作っていく。

私たちはいつの間にか、何かの事例、大人に教えられた事、それらに頼ってはいないだろうか。
事例や教えられたことは、正しいのだろうか?正解なのだろうか?

正しい?正解?そんなものが必要なのか。
むしろ、間違いとは何か、失敗とは何かを経験しなくてはいけないのではないか?

幼児は、危険性や言っちゃだめなことなど気にしていない。
言っちゃだめなことは、果たして本当に言っちゃだめなことなのか。
大人なら気を遣って言わなかったりする。それはむしろ間違いなのではないか??

幼児は常に危険だ。チャレンジングだ。
川から落ちるかもしれない、道路に出るかもしれない。でも常に刺激的だろう。
チャレンジングだからだ。
彼らは親にやっちゃいけないと言われながらもそれを無視し続け、自分のやりたいことを好きなだけやって、痛い目をみて泣き、成功して喜ぶ。

いま私たちに足りないことは、この幼児のような危険性を帯びたチャレンジングな事なのではないか??

誰かに、大事な人に止められた。
そんなくだらない事で自分を止めてしまっては、あなたは何を選択できる??
自分で選択して、成功し、失敗し、前例のない事、危ないところにあえていく事で見える世界は美しいだろう。

あなたが、あなた自身のことを選択しないのであれば、あなたはこの先、ずっとあなた自身を責める。
そしてあなた自身があなた自身をいちばん嫌うだろう。

現代の戒め。

どうして生きて帰ってこれたのか。

それはただ自分が生きようと意思したからだ。

暗闇と、天使と悪魔の囁きの中で。

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