母の断章ーあるいは長い散歩ー(311)



あれはたぶん普段は為替相場を映し出すモニターだったろう。
 画面には草を食む牛がいる。緑の奥には黒い山。山だと思った。みるみるうちにそれは大きくなり、泡立ちながら走り寄せる。あっというまに牛も緑も灰色の水に呑み込まれた。
 何かただならぬことが起こっている。子どもたちはどうしているだろう。家に食べ物はあっただろうか。奥歯をぎゅっと噛みしめる。早く、早く家に帰らなければ。
あの日、14時46分、大地が震えた。
会社でパソコンに向かっていた私は、デスクの下に潜り、揺れに耐えながら、子どもたちにメールをしてみる。電話をかけてみる。繋がらない。上司が「今日は残業取りやめ。定時で終了!」とフロアじゅうに声を響かせる。定時?子どもがいるのに?窓から外を見る。他のビルから人が続々と出てくる。私も今すぐに帰りたい。しかし、業務命令に背くわけにはいかない。渋々デスクに戻る。もう仕事に身が入るわけはない。心臓が波うっている。喉がカラカラだ。数度の余震のたびにデスクに潜る。収まればパソコンをうつ。家に帰らなければ。

やっとチャイムが鳴る。数人の同僚と共に走り出るように会社を後にする。いつもの駅へ行くと、構内はがらんとして、駅員が「今は運行を停止しています。動くのがいつになるかはわかりません」と告げた。
同僚は、会社で待つことに決めた。「ごめん、私は歩いて帰る。主任に言っといて」と耳打ちして、線路沿いに歩き出す。道路は人で溢れていた。ヘルメットを被り、防災リュックを背負った人。スーツの人。みんな線路沿いに歩いている。
道路沿いの飲食店には客は少ない。「おい、これ無理だよ。いっそちょっと休んで行こうぜ」数人が店に入る。私は歩き続ける。
道路は車が渋滞している。
通りすぎていくタクシーにはすべて人が乗っている。バス停は長蛇の列だ。歩くしかない。
もう一度携帯を取り出す。通じない。時間が惜しい。もう携帯は取り出さない。
 東京駅前、公衆電話の行列を眺める。いや、並んでいる余裕はない。歩き続ける。
秋葉原駅前、新聞を敷いて座り込んでいる人がいる。いや、休んでいる場合じゃない。歩き続ける。
人波の中の誰かが「おい、なんかのイベントみてえだな。」と笑った。
商店のラジオが、余震の情報と津波警報を喋っている。まだ寒い時期だと言うのに、私は暑くて上着を脱ぐ。
ラブホテル街を抜ける。ホテルの主人に「今日は帰るの無理だからさ、泊めてよ。」と交渉している人がいる。歩き続ける。
もう何時間歩いたのか、気にしてる余裕はない。子どもたちのところに帰らなければ。
いつもの道までくる。もうすっかり夜だ。子どもに何か食べるものを調達しなければ。この時間からでは、作るまで待たせるわけにはいかない。
近所のコンビニへ入る。ドリアがやっと三つだけ残っている。購入し、自宅へ向かう。
 自分でドアを開ける間も無く、内側からドアが開く。リビングからテレビが警報を叫ぶ声が聞こえた。「お母さん!お母さん帰って来たの!どうしたかと思った!」
「うん、ただいま。大丈夫だった?ケガとかしてない?何か食べた?」やはり子どもたちは何も口にしていなかった。
ドリアを並べ、テーブルに着くと、自分がびっしょりと汗をかいて、震えていることに気がついた。
大丈夫。大丈夫。とりあえず、私の子どもたちは大丈夫。
しかし、その考えはまだ早計だったことを、数日後に思い知ることになる。

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