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【百年ニュース】1921(大正10)1月6日(火) 歌手の黒木曜子(井関富沙子)誕生。戦後満州から引揚げ,1948(昭和23)歌手デビュー。「ベサメ・ムーチョ」がヒット。1959(昭和34)町田市の小田急線踏切で長女(当時高校生)とともに轢死,享年38。2か月後に長女実父で交際相手の後藤資公(作曲家)が踏切で服毒自殺。

事故現場の踏切には,笠置シヅ子ら日本コロムビア歌手クラブ有志により慰霊のための母子観音像が建立された。現在も玉川学園町内会有志により維持されている。

「玉学母子観世音菩薩縁起」昭和34年2月18日午後6時20分頃,この池之端踏切(当時は遮断機が無かった)で,コロムビアレコード歌手の黒木曜子(本名井関房子,当時38歳)さん,智恵子(当時18歳)さんの母子が事故死されたことを悼み,この母子の冥福を祈るとともに,後世に悲劇を伝え,再発を防止するために,当時曜子さんの友人であったコロムビア歌手クラブ有志の方々により,この「母子観音像」が建立されたものである。合掌

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