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【百年ニュース】1920(大正9)9月10日(金) 田中義一陸相が辞表提出。参謀本部が山県有朋を背景にシベリア撤兵に抵抗し政策遂行不可と。原敬首相も田中陸相に同調し辞意。原は13日に山県訪問予定で,辞表で山県を脅迫し統帥権を制限,作戦計画も政府の管理下に置く思惑。将来統帥権を振り廻し軍部が独走することを警戒し事前に掣肘。

田中義一陸相の辞表「臣義一、さきに尼港事変発生の際、恐懼に堪えず進退の儀に関して謹みて聖鑑を仰ぎたるに、寛大なる御沙汰を拝し、引き続き職務に鞅掌せしも、今や本件に関しては政事上軍事上なんらの煩累を貽(のこ)さず、これ畢竟、御聖徳の余沢にして感激の至りに堪えず。しかるに将来軍事上の施設はますます多端にして、臣の微力到底陸軍軍人を統督して職責を全うし、もって聖旨に沿い奉ること能わざるを恐る。よってこの際臣が重責を解き、さらに適才を挙げられんことを誠恐誠惶謹みて奏す。大正九年九月十日 陸軍大臣男爵田中義一

原敬2
長大な原敬日記のなかでも同日条はハイライトのひとつ。

「田中陸相辞表を出し、かつ説明して言うところによれば、かねて加藤海相より内聞せし通り、陸軍省と参謀本部との間に権限に関する取決書あり、裁可を当時得おるにつき、ややもすれば参謀本部はこれを盾に取り、例の統率権(統帥権)を振り廻して陸軍省を制せんとし、而して参謀本部は終始山縣を後援となし、何かあれば直ちに山縣に相談あらば、山縣は必ず自分を招致すべく、その際山縣よりさきの覚書を取り消すべき言質を得て政策を断行したしと言うにつき、余は過日も内話せし通り、今や大体決定の政策を実行し得たれば、内閣を辞するとすれば今日は時機と思う、また辞せざるものとせば確固たる決心をもって国策断行を決心せざるべからず、ゆえに山縣に言うときはそのあたりの事情をも併せて言わざるべからずと言いたるに、田中は、山縣は自分の辞意動機となりて内閣の崩壊は山縣のもっとも恐れるところなり、山縣はなんとか自分を慰撫して留任せしめんとするに至るべきに因り、その際は十分の言質を得て将来の改革をなすべし、ハバロフスクの撤兵問題も、騎兵も歩兵同様2ヶ年兵役に改めんとする案も、参謀本部は喜ばずして必ず反対すべきにより、断固決心をもって臨まざるべからず、先だって山縣に会見せしとき、山縣は上原参謀総長は君に反対せざる様子に見ゆと言いたるも、大概山縣の内意は察することを得べし(参謀本部に反対を好まざるの意と思わる)また先だって平田東助が山縣を訪問せしとき、寺内も段々自分の意見を聞かざるようになりしが、田中も近頃同様になりしと言いたる由、自分は何分にも従来の関係において山縣には背きがたく、さりとてその言うがままになすことも不可能にて困難の境遇にありと(すなわちこれが為に辞表をもって山縣を脅迫するものと察せらる)。

余は、これまではドイツの例とかいうことにて何もかも皇室中心にて統率権(統帥権)など極端に振り廻さんとするも、今日は先帝の御時代とは全く異なれるに因り、政府は政事上余責任をもって国政に当たるの方針に改めざれば、将来累の皇室に及ぶの恐れあり、しかるに参謀本部などが天皇に直隷すとて、政府の外にでもあるように、一にも二にも統率権(統帥権)を振り廻さんとするはいかにも思慮の足らざるものなり、ゆえにこの際これらの弊を一洗するはすなわち国家皇室のためと思うとの趣旨にて、田中の意見を賛成し、近日山縣を訪問する考えなれどその節とくと談合すべしと言いおけり。」『原敬日記(1920年9月10日条)』

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