【百年ニュース】1920(大正9)10月26日(火) バートランド・ラッセルが湖南省長沙で公演。通訳の趙元任はハーバード大学からコーネル大学を経て同年清華大学に戻った言語学者。趙は天津生まれだが湖南方言も流暢に操り,聴衆に「湖南の何県出身か」と質問されたが,その質問者は毛沢東だったとの説がある。
毛沢東は1919年北京から湖南省に帰郷,長沙の小学校で歴史教師に。1920年10月長沙でのロシア革命三周年祝賀デモの体験を通し「大衆運動を組織した政治的な力のみが,有効な改革の実現を保証する」と確信。社会主義青年団の結成活動を開始した。エドガー・スノー『中国の赤い星』
また毛沢東は同1920(大正9)に長沙で楊開慧(長沙福湘女子中学選修班の学生)と結婚した。妻の楊開慧は毛沢東の中国社会主義青年団にも加入。1922長男の毛岸英,1923次男の毛岸青が生まれる。1930楊開慧は国民革命軍(国民党)湖南軍の何鍵に逮捕され毛との離婚と非難声明を求められるが拒絶、銃殺された。
バートランド・ラッセルは英国の哲学者。数学・論理学で実績を残したのち唯物論者に。平和主義を主張。貴族出身(伯爵家)ながら労働党に入党。1916年平和運動,婦人解放運動への熱中でケンブリッジ大学教授を解任される。1918年投獄(6か月)。1950年ノーベル文学賞。
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