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【百年ニュース】1921(大正10)9月24日(土) 全米女子プロ野球リーグ(AAGPBL)選手のシャーリーン・プライヤーがカリフォルニア州ウォトソンビルで誕生。第二次大戦中は海兵隊で勤務。戦後AAGPBL選手となり,小柄で機敏な二塁手として活躍。俊足を活かし盗塁を量産。1951年オールスター出場。1999没,享年77。

全米女子プロ野球リーグ選手のシャーリーン・プライヤー(Charlene Barbara Pryer)がカリフォルニア州ウォトソンビル(Watsonville)で誕生しました。父親のウィラード・プライヤーは地元では知られたアマチュア野球選手で、息子たちと同じく娘のシャーリーンにも熱心に野球を教えました。シャーリーンも勤勉な性格で野球スキルを飲み込んでいきました。

全米女子プロ野球リーグ、AAGPBL(All-American Girls Professional Baseball League)は、第二次世界大戦中の1943年から、戦後の1954年までの12年間だけ運営されていた、女性野球選手によるプロリーグです。

創業者はシカゴ・カブスのオーナーであったフィリップ・リグレー(Philip K. Wrigley)です。現在でもシカゴ・カブスの本拠地球場はリグレー・フィールド(Wrigley Field)と呼ばれていますが、シカゴに本社がある世界的チューイングガム製造メーカーのリグレー(Wrigley)が100年以上にわたって名称を受け継いでいます。

さて第二次世界大戦中は多くの著名なメジャーリーガーも兵役に赴きました。選手不足のためにメジャーリーグのチームも経営が悪化し、いくつかのマイナーリーグは経営破綻していました。そこでフィリップ・リグレーの発案により設立されたのが女性によるプロ野球リーグAAGPBLです。

さてシャーリーンは第二次大戦中は海兵隊で従軍していましたが、戦争が終わるとAAGPBLに参加しました。ミシガン州マスキーゴンを本拠とするマスキーゴン・レジーズ(Muskegon Lassies)などで活躍しました。小柄で機敏な二塁手として人気があり、俊足を活かして盗塁を量産しました。1951年にはオールスターゲームにも出場しましたが、1952年のシーズンを最後に引退しました。

野球引退後はジャック・スチュアート・メイヤーという人物と結婚し、娘と息子を設けました。永年オレゴン州メドフォードに居住して、地元で野球などのスポーツを教えました。1999年6月3日に享年77歳で亡くなりましたが、その年の10月に地元のウィルソン小学校(Wilson Elementary School)の野球場が彼女のために捧げられました。

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