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【百年ニュース】1921(大正10)11月3日(木) 米国の俳優チャールズ・ブロンソンがペンシルベニア州エアレンフェルドで誕生。父親はリトアニア移民の炭鉱夫。15人兄弟の5男。自身も少年時代は炭鉱夫として働く。戦時中は陸軍航空隊。1951映画デビュー。『荒野の七人』(1960)や『大脱走』(1963)で注目された。2003肺炎で没,享年81。

米国の俳優チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson)がペンシルベニア州エアレンフェルド(Ehrenfeld)で誕生しました。この街にはウェブスター(Webster Coal and Coke Company)という炭鉱があり、父はここで働くリトアニア移民の炭鉱夫でした。父親ヴァルテリス・ブチンスキー(Valteris P. Bučinskis)はリトアニア南部の保養地ドルスキニンカイ(Druskininkai)出身のリプカ・タタール人でしたが、米国に渡ってからはやや米国風にウォルター・ブチンスキー(Walter Buchinsky)と名乗りました。

チャールズ・ブロンソンの本名は、チャールズ・デニス・ブチンスキー(Charles Dennis Buchinsky)。15人兄弟の11人目の子供で五男。両親ともリトアニア人であったため家庭内はリトアニア語、チャールズの母国語も自然とリトアニア語となり、子供時代のブロンソンは英語をほとんど話しませんでした。家庭には経済的余裕がなく、家族はみな貧しい生活を余儀なくされました。

1931年ブロンソンが10歳のとき父親が亡くなり、また時代は大恐慌に突入していたため家族は困窮を極めることとなります。自身を含め兄弟はみな炭鉱夫として2交替で働くこととなりました。特に落盤の危険が高いとされる鉱山にも、割高な報酬を得るためリスクを取って頻繁に入りました。

第二次大戦中の1943年、ブロンソンは陸軍航空隊に入隊します。グアム第61爆撃隊に所属するなどし、日本軍への空襲に参加していました。戦後はペンシルバニア州フィラデルフィアで演劇グループに加わり、1951年に映画デビュー。『荒野の七人』(1960)や『大脱走』(1963)で注目されました。

日本においてブロンソンは男性用化粧品マンダムのテレビCMの出演者として有名です。1970(昭和45)年に大林宣彦が演出したCMが話題となり、マンダムは爆発的なヒットとなりました。マンダムの発売元「丹頂」は明治創業の老舗でしたが、当時は資生堂の男性化粧品MG5に押されシェアが低下し、経営不振に陥っていました。しかしブロンソンのCMで状況が逆転、社名もマンダムに変更し現在に至っています。

ブロンソンは1998年に俳優を引退し、2003年ロスアンゼルスのシダーズ・シナイ医療センター(Cedars-Sinai Medical Center)で肺炎のため死去しました。享年は81歳でした。

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