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【百年ニュース】1921(大正10)5月2日(月) 中国の京綏鉄路開通,帰綏駅(現フフホト駅)が開業。北京~張家口~大同~帰化/綏遠の653.6㎞が鉄道で結ばれる。2年後の1923年1月には帰綏からさらに165㎞延伸して終点の包頭まで到達するが,この区間には日本からの借款(東亜興行借款)300万円が使われた。

中国の京綏鉄道が開通しました。帰綏駅(現フフホト駅)が開業し、北京~張家口~大同~と通って、帰綏(すなわち帰化および綏遠)の653.6㎞が鉄道で結ばれました。2年後の1923年1月には帰綏からさらに165㎞延伸して終点の包頭まで到達するが,この区間の建設には日本からの借款300万円が使われました。アメリカの門戸開放政策により成立した新四国借款団の手前、日本は民間企業の東亜興行からの借款と言う体裁にしました。しかしこの借款は焦付き外交問題に発展します。

なおこの東亜興行は渋沢栄一の提唱により1909(明治42)創立された日中経済開発を目的とした国策会社で資本金は100万円、本社東京麹町にありました。中国の鉄道,土木,鉱山,造船,電気などの調査,設計をおもな業務とし、日本興業銀行,三井,三菱,安田,住友らの財閥系企業が大株主でした。漢口水電,武昌電灯,江西南潯鉄道など中国各地の事業に対する投資や公共事業への低利借款,住宅建設などの事業を展開し,一時期は日本資本の対中国投資の窓口としての役割を演じました。

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渋沢栄一

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