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【百年ニュース】1920(大正9)5月18日(火)大阪綿糸同盟会総会で救済シンジゲートの組織を決議。綿糸相場は先安観強く紡績会社の先物と現品の引換拒否相次ぎ、綿糸商が苦境に。取引不能品を組合に供託し後日の輸出に回す。不況で大阪綿糸商は100軒程から20軒程に減少した。

翌5月19日には東京綿糸商組合も総会開催。1年以上の先物約定は「内地向きを主とする問屋筋は皆決済不能の状態」。紡績工場側は解合(約定解消)を拒否。工場と商社の力関係が逆転し、救済や融資を通じ商社を隷属させる大紡績が出現する。

高村直助『紡績業をめぐる流通過程の展開一 綿花・綿糸商との関係を中心に一』政治経済学・経済史学会,1965
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tochiseido/7/3/7_KJ00005118146/_pdf

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