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【百年ニュース】1921(大正10)10月24日(月) ゲオルギーナ・フォン・ヴィルツェクがオーストリアのグラーツで誕生。1943リヒテンシュタイン公フランツ・ヨーゼフ2世と結婚。3男2女をもうける。公妃ギーナとして欧州で親しまれた。1989没,享年67。1か月後に夫のフランツ・ヨーゼフ2世も死去。

ゲオルギーナ・フォン・ヴィルツェク(Georgina Gräfin von Wilczek)がオーストリアのグラーツで誕生しました。愛称はギーナ(Gina)です。父はオーストリアの貴族フェルディナント・フォン・ヴィルツェク伯爵です。1943年3月7日にリヒテンシュタイン公フランツ・ヨーゼフ2世と結婚しました。公妃ギーナとして欧州で親しまれることとなります。

第二次大戦中は欧州全土にナチス・ドイツの勢力が及びましたが、リヒテンシュタインは中立を維持しました。君主のフランツ・ヨーゼフ2世は、総選挙を行えばナチスを支持する勢力が多数を占めることが自明だったため、非常の措置として君主大権で総選挙の無期限の延期を決断します。結果としてこれが同国のナチズム化を防ぐこととなりました。また妻のギーナも、強制労働に駆り出された人々や戦争捕虜の解放に尽力し、ナチスドイツが降伏して約1か月後となる1945年6月22日にリヒテンシュタイン赤十字社を設立し初代総裁となりました。そこから1984年まで44年にわたり総裁職にありました。

1989年10月18日にスイスの病院で亡くなりました。享年は67歳でした。そのわずか26日後の11月13日には、夫のリヒテンシュタイン公フランツ・ヨーゼフ2世も後を追うように死去しました。そして二人は3男2女をもうけましたが、その長男がリヒテンシュタイン公を承継し即位、ハンス・アダム2世として現在でも同国の君主をつとめています。

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