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【百年ニュース】1921(大正10)3月15日(火) 前年3月15日の株価大暴落から丸一年。第一次世界大戦によるバブル的好景気から一気に経済恐慌へ。花柳界や花街の様子が一変したと東京日日新聞が伝える。当時のトップ芸者は写真でその容姿が広く伝えられアイドル的な人気があった。

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1920年3月15日の東京株式市場の大暴落に端を発した1920年恐慌は,それまでにない大幅な価格の暴落,企業の倒産を引き起こした。

株式市場ではじまった混乱は,銀行取り付けや企業倒産を引き起こしながら,6月以降になると,世界的な景気後退のなかで深刻な恐慌状態となった。

卸売物価指数(1900年=100)は,大戦後の休戦反動期の19年3月に268を記録したあと,1年後に425まで6割近く高騰し,翌年4月には251と4割ほどの暴落となった。

同じ期間の製品別価格では綿糸・綿製品や生糸がいずれも7割前後の暴落であった。

この恐慌の特徴は,第一に1920年6月ころまで英米などが表面的には戦後ブームの様相を呈しているなかで,3月以降日本で先行して景気後退が発生したことであった。

海外市況の暴落,輸出不振など外生的な要因が強かったそれまでの日本の恐慌現象とは異なって,例外的なものであった。

第二に投機的な取引の破綻によって引き起こされたことから,投機の破綻が各種の商品分野に及び中小商社の破綻や地方銀行の休業がかつてないほどの規模で発生した。

それは在庫を抱え込んだ商社などの資金繰りを困難(「流動性の危機」)にし,これに資金を提供していた金融機関を直撃した。

そのため,日本銀行を頂点とする政府系金融機関が倒産の危機にある企業への「滞貨金融」(売れ残り商品を担保とする融資)を積極的に展開することになった。

大規模な思惑取引が行われていた綿糸布市場では,多数の綿糸布商が経営的に行き詰まり,救済資金によって取引の清算が行われた。

滞貨金融は,綿糸布に対して4800万円,砂糖3200万円,羊毛2700万円,蚕糸5000万円,銅600万円など各事業分野に及んだ。

この融資に関連して,第三に日本銀行は,各業界で生産制限や滞貨処分の共同行為を促した。

その結果,各産業分野でカルテルが形成が促され,1920年恐慌は産業の組織化が進展する契機となった。

滞貨金融による救済や産業組織化の促進は,恐慌による打撃を緩和する意味をもっていた。

しかし,他面で広範な救済融資によって恐慌過程で整理されるべき競争力の弱い企業も温存し,債務の整理が進まないまま不良債権化する弊害も伴った。

その結果,金融機関の収益を悪化させ,1920年代における経済発展を制約する病根のひとつとなった。

武田晴人『日本経済史』有斐閣,2019,201頁

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