【百年ニュース】1920(大正9)4月21日(水)帝国飛行協会が東京・大阪間無着陸懸賞飛行大会を実施。同会所属の飯沼金太郎と伊藤飛行機研究所所属の山縣豊太郎が争う。飯沼は丹沢の山林に墜落し重傷(生涯飛行不能)。山縣は成功し賞金1万円を入手するも、わずか4カ月後に習志野の鷺沼で墜落死した。

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