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【百年ニュース】1920(大正9)12月5日(日) 原敬首相が姉この(見坊兼聴夫人)訃報に接し旅程変更し帰京。[この]は敬の叔父,原平治の娘。平治が35歳で家督を継ぐことなく早世したあと,平治の弟(敬の父)直治が[この]を戸籍に入れ育てた。1834(天保5)生れ,敬の14歳年上。敬は終生[この]を慕った。享年86。

「名古屋に開く東海11州大会に出席のため午前8時半にて東京駅を出発し,午後4時過ぎ名古屋着,まず県庁に行き書く高等官らに会見し,それより千秋楼に投宿。名古屋市,県庁,商工会議所の主催にかかる歓迎会に出席し,名古屋は発展の地の利あることより,日本もまた地理的に発展すべき位地にあることを演説したり。旅館に帰り,見坊姉上(*見坊この,原敬の従姉)死去の報に接す(3日午後5時半という,東京より転電し来る),よって明日の大会には余の演説草稿を代読せしめ,一切の招待宴会等を断ることになし,明日正午頃の汽車にて帰京に決したり」(1920年12月4日)

「12時40分発の汽車にて名古屋出発,帰京す。明日午後見坊葬式というにつき,誠(*原敬の実弟),参列すというにつき,貢(*原圭一郎,原敬の養子,姪の子)を余の名代として帰県(*岩手)せしめたり」(1920年12月5日) 原奎一郎編『原敬日記 第五巻 首相時代』福村出版,1981年,317頁〔*は引用者註〕

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