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【百年ニュース】1920(大正9)6月13日(日)中国湖南省の南北両軍衝突の混乱が続く。岳州に逃げてきた北軍(張敬堯)が市内で略奪を働き、米国人宣教師William A. Reimertを殺害。恐慌をきたす現地の外国人婦人ら13名を日本軍艦「嵯峨」が乗船させ漢口に避難させた。

「6月15日在漢口瀬川浅之進総領事より内田康哉外務大臣宛電報。岳州にある張敬堯の兵は13日午後に侵入し大奪掠をなし、あまつさえ米国宣教師1名を殺害したるをもって同地外国人間に一大恐慌をきたしおる際、たまたま帝国軍艦嵯峨本日寄港したるをもって外国人婦人8名(うち米国人6名、英国人1名、ドイツ人1名)宗教学校の女性と13名同艦に便乗して当時に避難すべき旨電報ありたり(15日)」

「6月17日在中国小幡酉吉公使より内田康哉外務大臣宛電報。岳州の米国人宣教師殺害に関し米国公使は6月16日外交部に対し米国人の生命財産保護を要求しかつ今次の殺害についてはとにかく張敬堯個人の責任なる旨の抗議を申し入れたる旨米国側より出たる趣の報道新聞に掲載せられおるところ外交部員もその抗議の事実なることはこれを承認せり内容等はおって探報すべし」
日本外交文書大正9年第2冊下巻 12湖南地方ニ於ケル南北両軍間抗戦ノ際ノ日本側被害一件

優勢な南軍を率いる譚延闓は長沙を陥落させたあと進撃を中止。岳州は攻略せず南北停戦会談に移る。一方戦わずに撤退した張敬尭は、岳州市内の略奪だけではなく米国人宣教師殺害の醜態も加わり罷免され、上海に逃亡した。米国は北方政府に厳重抗議。至急米国人の生命財産を保護するよう要求した。

張敬堯2

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湖南省地図2

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