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【百年ニュース】1921(大正10)4月8日(金) 東京日日新聞に渋沢栄一のプライベート会社(渋谷同族会社)を取り仕切る渡辺得男に関する報道。渡辺は渋沢が設立した埼玉出身学生のための寄宿舎,誘掖会の初期の学生。渋沢の経営する第一銀行勤続10余年を経て支配人に。のち渋沢家の執事,専務重役となった。

第一銀行の支配人であった渡辺得男君は先般渋沢同族会社の専務重役となり,毎日兜町の渋沢事務所に出社し子爵家の事業を統括しているが,君を簡抜して重任に当たらしむるに至ったについてはいささか経緯がある。

なんでもいまだ学生時代のこと,君が牛込の誘掖会寄宿舎にいたころ,子爵は同会の会頭としてしばらく来舎したことがあった。

ところが誘掖会はその当時草創期であたかも梁山泊のごとくであったが,君が学生連から選ばれて委員になってからは舎風が一段と向上した。

このときから渡辺君は老子爵の鑑識にかなって,学校を出ると銀行に入り勤続十余年ついに渋沢家のひととなったとは近来の佳話である。

東京日日新聞 1921年4月8日 朝刊

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渋沢栄一の誘掖会は,現在も公益財団法人埼玉学生誘掖会として活動している。

記事内で渡辺得男も世話になったという市谷砂土原町の寄宿舎は,戦後も砂土原寮と呼ばれ2001(平成13)年3月末まで存在したが,現在は取り壊されマンションに。

「誘掖」とは導き助けるとの意。


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