風俗嬢とカツオの刺身、あるいは罪悪感に耐えかねるということ。

先日、はてな匿名ダイアリーでこのエントリーが、話題になった。

このエントリーの内容を雑駁にまとめよう。まず、芸人岡村隆史がお金に困って美人が風俗嬢をやるようになるということを、喜ばしい、お得な話としてラジオで喋ったことが大きな非難を受けた。それに対して、岡村の発言のちょっと前に、スーパーで品質の良いカツオの刺身が安価に出回っていることを歓迎する話に、「お得である」と肯定的な反応が多数寄せられたことを比較して、これは、実質的に同じことではないかという疑問を示している。

確かに、これらは、新型コロナウイルス感染症に伴う経済事情の悪化に伴い、本来高く売れる商品をやむを得ず安く売る、あまり人気のある仕事とは言えない風俗嬢として、金のために働くという、ほぼ同じ構造を持っている。そして、損をしている、あるいは働きたくない風俗で働いている人が居るにもかかわらず、それを無視して喜ぶ姿というのは、全く同じであると言えるだろう。単に、岡村発言がなんとなく許容されず、カツオの刺身がお得なのがなんとなく許容されているに過ぎない。これらに決定的な違いは全くない。

カツオの刺身に人権は無く、風俗嬢に人権はあるなどと馬鹿な話も出ているが、それは問題の本質ではない。カツオは人権の無い商品であるが、風俗嬢は実は商品ではない。商品の実体は風俗嬢によるサービスであり、当然に「サービス」なるものに人権など存在しない。つまり、単なる、これは、言葉の綾に過ぎない。

この記事では、「商品」の流通における「不公平」と考えられうるものについて検討し、それによる「罪悪感」、そして「罪悪感に耐えかねた者の結果」について議論をする。

他の商品はどうなのか?

さて、先ほどまでカツオの刺身と風俗嬢のサービスについて話をした。他の商品はどうだろう。新型コロナウイルス感染症の影響を見れば、高級旅館に安く泊まれる、高級料理店の弁当が比較的安価に売られている、高級食材が売れずに値が下がっている、原油が安くなっている、航空券が安くなっているなど、様々な業界において値崩れとも言うべき現象が発生している。確かにコロナの影響による価格下落は著しい。

しかし、ここで一つ、私たちはこの新型コロナウイルス感染症よりも前から、様々なものを安く買いたたいてなかったか? という疑問が出てくる。日本は、オイルショックまで、安価な石油を大量に消費することで高度経済成長を支えていた。また、今現在、原発が停止している中で、電力を担っているのは比較的安価な天然ガスや石炭である。デフレの王者と呼ばれた牛丼屋や100円ショップなど、これを支えているのも、低賃金労働や安価な輸入品である。実は、私たちはとんでもない搾取を日々の生活の中で繰り広げているのではないだろうか?

国際的に見てみよう。コーヒー、カカオ、タバコ、バナナ、天然ゴム、アブラヤシといった商品作物がプランテーションで栽培されている。時に児童労働や奴隷的労働が行われ、あるいは環境破壊を巻き起こし、不作時は商品作物しか作っていないモノカルチャー経済の為に、飢饉を発生させる。そうして作られた一次産品は、先進国に輸入され、そして消費されている。私たちが安価なコーヒーやチョコレートを楽しめるのは、こういう背景がある。

このような問題は、ずっと前から認識されており、例えば、エマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論のように、世界を、中核・半周辺・周辺に分けて、周辺が「低開発」として固定化される(発展できない)という問題として厳しい批判を受けてきた。

そう、はっきり言ってしまえば、先進国に生まれ、生きるということは、世界中から搾取をして、しかもそのことを気にもかけず、たまにフェアトレード製品を買っていい人ぶるという、最悪の偽善者として振る舞うということそのものなのでである。ここまで読んだ読者諸兄は罪悪感を感じるかもしれないが、それは正常だと私は考えている。

そして、このことに耐えきれなかった連中が、過去存在した。

罪悪感に耐えかねた人々

1974年8月30日12時45分東京の丸の内にある三菱重工本社ビルの目の前で大爆発が発生した。死者8名、負傷者376名を記録する極めて甚大な爆発であった。

この爆発を引き起こしたのは、大道寺将司らによる東アジア反日武装戦線「狼」を名乗るグループで、彼らは事件後、以下の犯行声明を発出し。その後も、爆破事件を継続していった。

一九七四年八月三〇日三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線“狼”である。
三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。
今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。“狼”の爆弾に依り、爆死し、あるいは負傷した人間は、『同じ労働者』でも『無関係の一般市民』でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。
“狼”は、日帝中枢地区を間断なき戦場と化す。戦死を恐れぬ日帝の寄生虫以外は速やかに同地区より撤退せよ。
“狼”は、日帝本国内、及び世界の反日帝闘争に起ち上がっている人民に依拠し、日帝の政治・経済の中枢部を徐々に侵食し、破壊する。また『新大東亜共栄圏』に向かって再び策動する帝国主義者=植民地主義者を処刑する。
最後に三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。
海外での活動を全て停止せよ。海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。
この警告に従うことが、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の道である。

彼らは、先進国の市民が、企業活動などを通じて、発展途上国を搾取していることを知っていた。とはいえ、少し勉強すれば、それは誰にでもわかる事実であった。ただ、彼らは、その罪悪感に耐えかねた。そして、搾取される発展途上国の人民のために闘うことで、その罪を免責しようとした。

「狼」は小規模なグループに過ぎなかったが、1970年7月7日の華僑青年闘争委員会による、新左翼に対する決別宣言、いわゆる「華青闘告発」に大きな影響を受け、そこから、学習を通じて極めて強い反日思想を形成していった。

華青闘告発は、マイノリティを良いように利用する新左翼に対する決別宣言であり、新左翼はそれ以降、マイノリティを重視していくことになる。特に中核派(華青闘告発の原因を作った)と解放派は、血債主義を重視し、中核派は近年関西派を追放するまでこの路線を維持してきた。なお、現在は、マイノリティ重視から大衆の支持を目指す路線に変更しており、前進チャンネルなどの取り組みはその一環と思われる。

さて、「狼」の話に戻ろう。狼は、いくつかの爆破事件を起こした後、メンバーの逮捕により瓦解した。しかし、ここで、捜査の糸口となった、思想的中心とも言うべき人物が居た。それが、当時アイヌ革命を訴えていた「太田竜」である。

罪悪感に耐えかねた者の行く末

太田竜の思想遍歴は凄まじい。これは、彼のWikipediaの記事に詳しく書いてある。彼の思想は、最初に共産主義、そしてアイヌ革命論、次にエコロジストになりマクロビオティックを実践し、そしてユダヤ陰謀論、最終的にはレプティリアン(爬虫類人類)の陰謀へと、変遷していった。

筆者は、彼は「本当の悪者」をずっと探していたのだと考えている。でなければ、先進国で生活し、物を書いて暮らしている、つまり、本当は低開発に抑え込まれた発展途上国を搾取している自分に耐えられなかったのだと私は考えている。彼にとっての、レプティリアンの陰謀は、それで世界の貧困や恵まれない人々が追い込まれているのでなければ、先進国でものを書いて暮らしている自分の責任になってしまうという意味で、絶対に必要な「悪」だったのではないかと筆者は考えている。

筆者は、これが罪悪感に耐えられなかった者の行く末だと考えている。

開き直ること

これまでの議論で、私たちはコロナ騒ぎに伴って、風俗嬢やカツオ漁師や流通に関わる人々を搾取していること。先進国の市民は、いわば原罪的に発展途上国の搾取をしていること。そして、これらが不可避的であり、罪悪感に耐えかねたときの問題を検討した。

しかしよく考えてほしい、私たちは、安くて良質な商品を手に入れ、それを喜んで何が悪いというのだろうか。先進国にたまたま生まれたことはラッキーとはいえ、何かしら罪を背負うべきというのだろうか。そもそも、私たちに抱えるべき罪悪感などそもそも存在しないのではないか。仮に、先進国が発展途上国を搾取するシステムが出来上がっていたとしても、それを変更も出来ず、それに逆らって生きることもできない人々に、何の責任を負わせるというのだろうか。

そう、実はそうなのだ。私たちに感じるべき罪悪感など最初から無い。だから、あなたに何か罪悪感を植え付けようと他罰をする者、「狼」のように、ただのサラリーマンを「植民者」と規定し懲罰しようとする者の話など、一切聞く必要はない。あなたが「男」だとして「歴史的にも、そして現在も女を搾取し、下駄を穿いてあぐらいをかいている」などと言われても、一切気にする必要はない。もし、そのような者がいれば、こう言ってやればいい「先進国に住む人間として、一切の発展途上国の搾取を止めろ」と。先にお前の「原罪」を償えと。「罪なき者のみ石を投げよ」と。

いつもありがとうございます!