フェミニストの方へ、表現の自由戦士/アンチ・フェミニストからの回答
先日、@JOJO_MIO_氏からTwitterでDMがあり、筆者のようなフェミニストの見解に反対する人の意見が聞きたいということで、いくつかの質問を受いただき、回答をさせてもらいました。筆者は、この質問の回答を再編集してとりまとめることで、フェミニストの方に、こちらの考えを理解(同意ではなく)してもらえる可能性があると考えたので、本稿を書きました。
このような機会を与えてくれた@JOJO_MIO_氏に感謝するとともに、本稿は彼女の真摯な質問がなければ書くことができなかったということを、まず読者にお伝えいたします。ただし、本稿の文責の一切は筆者に帰属すること、また、文中で問いとして記載されている部分も、@JOJO_MIO_氏の質問を参考にしながら筆者が書いたものです。
なお、この回答は筆者個人の意見であり、何かの集団を代表するものではないことを申し添えます。
問1 ポルノによる影響があると考えているのか
問い
ポルノによる影響の研究があり、またポルノがトリガーになっている犯罪が発生しているという主張があります。その上で、ポルノの影響についてどのように考えますか?
答え
ポルノが影響を与える可能性はあります。ポルノのような創作物が、犯罪行為を起こすきっかけとなること、性的指向に影響すること、加害欲が高まる可能性があることなど、小児性犯罪を助長する可能性が完全にゼロであると言う事は難しいと考えます。
しかし、そもそも、ポルノに限らず、あらゆる表現は人に影響を与えるとも言えます。例えば、キャプテン翼やスラムダンクのような人気スポーツ漫画が、競技人口を増やしたというような例があります。あるいは、広告表現は読者・視聴者に対して「何かを購入する」といった行動変容を促していますし、実際に広告に影響されて何かを買った経験が無い人は居ないでしょう。
ただ、当然のことですが、ポルノを見たからと言って、それを見た多くの人が性犯罪に及ぶことは、恐らくありません。子供をレイプするような内容の漫画はいっぱいありますが、それを読んだ人のうち、実際にそのような行為に及ぶ人はほとんどいないでしょう。これは、他の表現も同様で、視聴率1%の番組で商品のテレビCMを打ったからといって、100万人がその商品を買うことは、ありません。
これは、ポルノ以外のもの、たとえばフェミニストから批判を受けるジャンプ漫画のラッキースケベ表現や窃視(のぞき)、スカートめくりなども同様です。今から50年前、ジャンプに連載されていたハレンチ学園の影響でスカートめくりが流行したことがありますが、それすら実際にそのような行為に及んだ人は、読者の一部に過ぎなかったと考えられます。
この問題は、頭文字Dや湾岸ミッドナイト、映画ワイルドスピードシリーズのような公道レースを題材とした作品が、走り屋やルーレット族といった違法競争者やスピード違反などの犯罪を生み出す可能性があること。あるいは、ヤンキー漫画がヤンキーを生み出す可能性があること。こういったものと同様ではないかと考えています。
なお、児童性加害が良いことではないということは、アンチ・フェミニストや表現の自由戦士であっても基本的に同意すると思われます。もちろん、公道レースやヤンキーのカツアゲや喧嘩が良くないということも、多くの人は同意すると思われます。
問2 準児童ポルノは許されると考えているのか
問い
日本では実写の児童ポルノは禁止されていますが、海外で禁止されている、実在しない児童を描写する準児童ポルノが許されています。このことについてどのように考えますか?
答え
いわゆる準児童ポルノと呼ばれている、イラストレーションやマンガ表現などにおける児童を描いたポルノ表現を、筆者は規制すべきではないと考えています。また、日本の児童ポルノ規制については、その点について問題点を感じていません。
海外における規制についても、筆者は規制すべきではないと考えています。しかしながら、その国の人ではないので、どうしようもない問題ではあります。ただ、なぜ海外で規制されているかを考えると、その理由の一つとして、単純にファンが少なく市場が小さいために、そのような表現を規制しても困る人(制作者・流通・消費者など)が非常に少ないという原因があると考えています。
筆者は、これは「こんにゃくゼリー」規制の構図に近いと考えています。「こんにゃくゼリー」はのどに詰まるリスクが高いため、EUではゼリー菓子にこんにゃく成分を使うことが禁止されています。日本でも、業界が自主規制で表示をするなどしていますが、法的に禁止はされていません。これは、日本に元々こんにゃくを食べる文化があり、こんにゃくゼリーを主力商品とする企業、こんにゃくゼリーを好む人が多いからだと考えられます。対して、ヨーロッパの人は、そもそもこんにゃくゼリーをほとんど食べていなかったので、規制されても困る人がほとんどいなかったために、容易に規制できたと考えられます。
問3 なぜ、海外と違って日本にロリコン文化があるのか
問い
日本では、準児童ポルノのようなコンテンツの愛好家や制作者が多いという文化的な違いがあることはわかりました。このような文化の違いを背景に、ロリコン大国などと言われることもあります。この違いについて、どのように考えますか?
答え
まず、日本には、1970~80年代に流行した「少女ヌード写真集」あるいは現在の「ロリエロ漫画」のような直接的なものから、今の漫画やアニメによくある、美少女をアイキャッチとした軽いコンテンツまで、日本には未成熟な様子を好む文化があることは否定しにくいと考えています。
これは、もしかすると、モンゴロイドがコーカソイドやネグロイドの人々と異なって、加齢しても幼い容貌を残すネオテニー的性質を持っているといった理由があるかもしれません。実際に、日本以外の東アジアの国、中国や台湾、韓国においても、欧米ではそれほど見かけない、萌えキャラクターのような表現は珍しくありません。これは本当に、いろいろな理由があるように考えられます。
さらに、日本における歴史的な背景として、成人男女の性器をフォトリアルに描写することが、わいせつ罪で厳しく規制されていたのに対して、子供の性器などはわいせつ罪に該当しなかったということがあると考えられます。たとえば、テレビで入浴中の子どもの性器が映り込んでも、昔は誰も問題視していませんでしたが、成人男性の性器が映ってしまえば放送事故になっていました。これは、わいせつの定義が、判例上「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの」となっており、普通の人は子供の裸や性器に興奮しないと考えると、わいせつに該当しないためです。
このため、「性器を見たい」という要望に応えるかたちで、わいせつ規制回避の手段として、1970~80年代に「少女ヌード写真集」が流行したり、劇画調の画風だったエロ漫画が、少女漫画的な画風のものが中心になっていったといった経緯があります。つまり、もともとあった性器を見たいという欲求をわいせつ罪によって規制した結果、ある種の抜け穴として「ロリコン」が使われるようになり、そして、それに人が馴致された結果、いわばロリコン文化的なものが成立したのではないかと考えられます。これは、19世紀ビクトリア朝時代のイギリスで、テーブルの足がわいせつだからとカバーをかけられたり、女性の肌の露出が厳しく制限されるなど、風紀が厳しく取り締まられた反面、その背後で変態的な性欲もまた爛熟していったというようなことと同じ構造だと考えています。
問4 なぜ準児童ポルノを規制するべきではないと考えるのか
問い
「マンガ表現などにおける児童を描いたポルノ表現を、規制すべきではない」という意見のようですが、悪影響が生じる可能性を否定できないにもかかわらず、なぜ禁止すべきではないと考えるのでしょうか?
答え
まず、規制というのは、その行為を犯罪化するということです。たとえば、ごみのポイ捨ては、廃掃法という法律で規制されています(5年以下の懲役もしくは一千万円以下の罰金、または併科)。当然に、殺人や窃盗なども刑法で規制されています。まずは、実際に犯罪として裁かれる、規制されている表現について考えてみます。
たとえば、実際に児童を使って撮影した児童ポルノを製造などした場合は罪に問われます。あるいは、刑法では名誉棄損という規定があり、人の名誉を棄損した場合、罪に問われることがあります。これらが何故規制されているか、という理由は容易に理解できます。児童ポルノを製造すれば被写体となっている児童の人権を侵害しますし、他人の名誉を毀損することは、当然にその人に対する人権侵害です。これらは、殺人が生存権を奪うように、窃盗が財産権を奪うように、明らかに他人の人権を侵害しているから規制されているのです。これが、最も基本的な類型の規制です。
次に、別の類型の規制を見てみましょう。破壊活動防止法という法律には、暴動などを扇動した場合に罪に問われるという規定があります。この規定に基づき、実際に1971年の10月に暴動を扇動する演説をした中核派の活動家が有罪となった事件があります。実際、この演説のあと、同年11月に渋谷暴動事件が発生し、警察官が焼き殺されるなどしました。また、爆発物取締規則という太政官布告(≒法律)にも爆発物の使用を扇動した場合の罰則規定があります。この布告に基づき、1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線『狼』」が出版した爆弾テロ教本「腹腹時計」が、この扇動規定で検挙されています。その他にも、麻薬特例法では規制薬物の乱用を煽ることに対する罰則規定があり、大麻の使用を煽るTweetをしていた男が捕まった事件が2017年にありました。
こういった「扇動罪」型の類型は、児童ポルノの製造や名誉棄損とは異なり、直接的に誰かの人権を侵害しているものではありません。つまり、具体的に誰かの人権を侵害していないにもかかわらず、重要な人権である表現の自由を制約できるのか、ということが問題になります。これは、権力による恣意的な弾圧を防ぐという意味でも重要な問題です。もし、「犯罪を誘発する恐れがある」程度の弱い理由で規制することが可能になれば、政府にとって都合の悪い表現が弾圧される、北朝鮮や中国、シンガポールのような国になってしまうことでしょう。
さて、既に問1で回答したように、おおよそあらゆる表現は、人に影響を与える可能性があります。しかし、なぜ1971年の10月の中核派活動家による演説は有罪となったのに対して、彼らの理論的支柱となった、暴力革命を主張するマルクスやレーニンの著作は有罪にも発禁にもならず、普通に書店で手に入れることができるのでしょうか? たとえば、レーニンの「国家と革命」は明白に、暴力の行使をうったえており、ほぼ間違いなく、実際の暴動事件に影響を及ぼしているにもかかわらずです。
また、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は、殺人やテロを正当化する教義に基づき事件を起こしたことが知られています。この教義では、オウム真理教は人類救済のために活動しており、それを妨害する、あるいは救済に応じないことは悪いカルマとなるのだから、それ以上、悪いカルマを積ませないために殺害することは、功徳を積むことになると規定されています。しかしながら、それらの教義や説法は破壊活動防止法などの扇動罪が適用されず、違法とはみなされていません。
実は、こういった「扇動罪」型の言論を規制する法律を適用する場合には、「明白かつ現在の危険の法理」というルールが適用される場合が多いのです。これは、もともとアメリカの判例に基づくルールで、日本でもいくつかの判例で採用されています。また、現在では、特にブランデンバーグ基準という基準が採用されています。この基準は、以下とおりの内容です。
・近い将来、実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること
・実質的害悪が重大であり時間的に切迫していること
・当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠であること
これを、先ほどの中核派活動家による1971年の10月の演説と、マルクスやレーニンの著作について比較し検討してみましょう。中核派活動家の演説では、翌月14日に渋谷で暴動を予定しており、そこで機動隊を暴力で打倒するという主張がされていました。非常に具体的です。対して、マルクスやレーニンの著作は、暴力革命の必要性や、それらを行う際の一般的な指針について記述してあるものの、具体的にどこで暴動を起こすかといったことが書かれているわけではありません。つまり、暴動を起こすことができる動員力を持っていた中核派の活動家が、具体的に暴動を行うことを煽ったからこそ、上記の条件を満たして、規制対象となったわけです。これに対して、単に殺人を正当化する教義に過ぎなかったオウム真理教の教義は、こういった基準を満たしていないと考えられるわけです。
さて、これらの議論をふまえた上で、いわゆる準児童ポルノと言われるものについて考えます。まず、準児童ポルノと言われるようなコンテンツが、具体的な個人の人権を直接に直接に侵害していると言えるでしょうか? これは言えません。空想で描かれたイラストレーションなどは、特定の個人をモデルにしている場合でもない限り、誰かの人権を侵害することは不可能です。
すると、これは「扇動罪」モデルで考える必要があります。つまり、いわゆる準児童ポルノと言われるコンテンツを閲覧したことにより、実際に児童に対する性犯罪が発生するから規制する、ということが可能なのか、ということです。これについて考えると、いわゆる準児童ポルノと言われるコンテンツは、あくまでフィクションの作り話に過ぎない以上、具体的に犯罪行為を煽っているとは言えませんし、実際に性犯罪が発生するという蓋然性にも乏しいでしょう。少なくとも、オウム真理教の殺人を正当化する教義よりも穏健ではあると考えられます。
問5 女性のモノ化による心理的な負担をどう考えるのか
問い
女性のモノ化するような表現そのものが目に入ることにより、心理的負担を生じさせることがあります。このような問題についてはどのように考えますか?
答え
一般論として、ポルノ的表現などが目に入ることにより、尊厳や平穏を害される可能性はあります。もちろん、そういった表現に代表される、女性のモノ化と言われるような社会的風潮を背景として、望まない性的接触が行われがちという傾向はあるでしょうし、むやみに尊厳や平穏を害されるべきではないとも考えます。
しかし、これについては、公共交通機関内の広告放送について訴えられた「囚われの聴衆事件」という事件の判例で、公共の場で目に入ってしまうものについて、受忍限度があるということが示されています。これにより、公序良俗に反するようなものでない限り、制限することは難しいと考えられます。さらに、商業店舗などのより私的な領域の場合、その店を使わないという選択肢がある以上、制限はいっそう困難だと考えます。
問6 ゾーニングをすべきではないのか
問い
悪影響を生じさせる可能性がある表現、あるいは、見ることで尊厳や平穏を脅かされるような可能性がある表現はゾーニングすべきではないでしょうか?
答え
これは、多くの人が無視していることですが、ゾーニングというのはコストがかかります。棚を分けて衝立を立てたり、暖簾で仕切る、カバーをかけて見れないようにするなどのゾーニングは、陳列に関するコスト(什器の費用や、陳列の制限に伴う非効率性)がかかります。また、陳列される際の表紙や広告の内容を制限すれば、消費者の購買意欲をそそることが困難になるので、売り上げが低下するでしょう。あるいは、「エロ本」としてゾーニングすることは、消費者の羞恥心などで購入を難しくするかもしれません(BLが成年向けの表示図書として自主規制・ゾーニングされない理由が恐らくこれです)。他にも、性描写は含まれているがエロ本として売れない作品の売り場が無くなるといった問題もあります(近親相姦描写があるため都条例の改正で絶版した「あきそら」はこのパターンです)。このように考えていくと、厳しいゾーニングをかければ、実質的に商売が不可能になるということもありえます。実際に、コンビニからエロ本が無くなった背景として、これ以上の厳しいゾーニングがコスト的に見合わないという、コンビニ本部(フランチャイザー)の判断があったのだろうと考えられます。
さて、その上で、ゾーニングを主張する人たちの多くが「別に無くなっても困らない・むしろ無くなった方がうれしい」という立場にある、ということが問題になってきます。当たり前ですが、その立場からは、いくらでも厳しいゾーニングを要求できますし、その結果、商売が成立しなくなって絶版や廃刊、業界の衰退が起こっても何の問題もありません。逆に、アンチ・フェミニストや表現の自由戦士の立場を考えてみましょう。筆者がフェミニストの気持ちや、実際の被害について「知ったこっちゃないよ」という態度をとっているのは、これと同じことです。フェミニスト皆さんのの尊厳が傷ついても、表現の自由戦士たちが特に困らないのは、残念ながら事実です。
もし仮に、双方が、相手の利益を考慮して妥協することができれば、お互いに少しの損で済むと考えられます。フェミニストはある程度の表現を受忍し、コンテンツの制作者・流通・消費者側は甚だしい表現についてはゾーニングしコストを負担するといったように。しかし、双方に信頼関係が無いので、下手に妥協すると付け込まれるリスクがあると判断して、双方が敵対する方法を選んでしまっています。これは、典型的な、囚人のジレンマと言われるゲーム理論や心理学の問題です。本来は、信頼をどうやって醸成するかを考えるべきなのでしょうが、お互いに、社会的に強い立場ではなく被害者意識もあるため、なかなか妥協のしにくい、政治的な対立となっており、見通しは暗いと考えられます。
いつもありがとうございます!