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ブランドとは偏見という話。02

ブランドはどこにある?

熱中小学校のセミナーでは、先に書いた「これはブランドですか?」のあとに、この質問をしています。ブランドはどこにあるか? 唐突な質問なので、こんな風に続けます。会社の中?商品の中?広告の中?口コミの中?……。たまに察しのよい人が「記憶の中?」を見つけて、僕の思いを代弁してくれます。
前回の「これはブランドですか?」では、シンボルマークや会社名や商品シリーズ名などを見て、それが特別に意味するところや連想することがらがない場合は、ブランドは成立しないという話をしています。このことは、過去にそのシンボルマークや会社名や商品シリーズ名などにまつわる体験がなく、記憶(潜在的な記憶を含む)がないと考えてよいと思います。おそらくブランドは、ひとりひとりの体験からその人の脳に残った記憶や身体に染み付いた感触なのだと思います。

ソシュール先生の話

僕が大学生の頃は、記号論が流行っていました。たまたま周りの連中がよく取り上げていただけかもしれませんが……。いつものとおりですが、表面をなめただけで詳しく研究したわけではありません。ただ、世の中に出て一番役に立ってるのが、この試食した記号論です。
で、この記号論の元祖でありながら著作を残さなかった大先生がソシュールです。その先生の一番美味しい話に「シニフィアンとシニフィエがあります。

(以下、wikiから引用)
シニフィアンは、フランス語で動詞 signifierの現在分詞形で、「意味しているもの」「表しているもの」という意味を持つ。それに対して、シニフィエは、同じ動詞の過去分詞形で、「意味されているもの」「表されているもの」という意味を持つ。日本語では、シニフィアンを「記号表現」「能記」(「能」は「能動」の意味)、シニフィエを「記号内容」「所記」などと訳すこともある。

このシニフィアンとシニフィエのコンビが記号だということです。この手の日本語の解説って、本来は直感的にわかりやすく紐解いたはずのことを、かえって難しく言い直してることが多いなあとよく思っています。

そこで、たとえ話をします。[孑孑] これの意味がわかる人にとっては、シニフィアン=[孑孑]、シニフィエ=「ぼうふらと呼ばれる、うようよ動く気持ちの悪い蚊の幼虫」が成立し記号になりますが、意味がわからない人にとっては[孑孑]という見た目の""という文字に似た図柄でしかありません。

写真や物の記号性

文字だけでなく、写真などにも記号は成り立っています。
これは何ですか?

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これはナットで、(呼び名は分からなくても)ボルトと一対になって鉄板などをつなぐ鋲の一部であることを、多くの人が認識します。この絵柄には意味が付属しているので記号の性質があります。

これは何でしょう?

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こんなに毎日、みんなの役に立っているのに、誰も意味を認識してくれないかわいそうな物。なんか、黒いドーナッツみたいな格好の物です。多くの人にとって、この物体は記号になっていないと思います。それでは、この物体を記号にしてみせましょう。これは水道のパッキンです。

そんなわけでぼくは、ブランドには人の頭の中に住みつき、記号のように作用する性質をがあると睨んで、いつも事にあたっています。
(続く)



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