見出し画像

ブランドとは偏見という話。03

01に比べて02の読者が激減しているので、そろそろ金儲けっぽいブランディングの話を書かないといけない気がしてます。

まずは小さく

世間によくあるブランディング本では、GAFAのブランディングだとか、花王やP&Gやスターバックスやユニクロや、なつかしいところではコカ・コーラとかマクドナルドとかの話がよく紹介されています。
資本主義社会の王者として世界征服を目指しているんじゃないかって企業や、非常に多数の生活者の毎日の頭皮の洗浄や昼食欲を満たすブランドの話が、はたして自分たちみたいな連中に役に立つんだろうか?というのが、このシリーズを書き始めたモチベーションなのです。
なので、激烈ながらそこそこ楽しめる資本主義社会で、できれば誰かの役に立ちながら、できるだけ長く生き残っていくのに役立ちそうなブランディングから、まず書いてみることにします。

パーソナルブランディングから

そんな訳で小さいところからはじめます。最小規模のブランディングはパーソナルブランディングだと思います。個人という1点ものの商品がちゃんと売れるようにするためのブランディングです。ここから取り掛かりましょう。
まず、前回の仮説からブランドは記号だということで、個人のシニフィアンから考えてみましょう。ただ、シニフィアンとシニフィエってこんがらかりやすいので、ここからは便宜的に「(ブランドの)しるし」と「(しるしから)連想されること」と書くことにします。
個人のしるしの代表は名前でしょう。「よしざわ りゅう」という文字と音です。それ以外ではこれもです。

画像2

さらに、匂いとか、声質とか、髪の毛の色とか量とか、およそ目に入るもの、耳に聞こえるもの、鼻に入るものがしるしになります。ただし、なまえは別格だと思っています。

プリンス騒動

2016年に2回めに死んだ僕の好きなミュージシャンがいました。プリンス。この人はかなり変わった人で、1993年に一度死んでいます。で、彼は自分でプリンスを殺したあとこれになります。

画像1


大変でした。音楽雑誌とかパニックでした。何しろ本人を表すしるしがこれしかないので、活字表現できないのです。おまけに「音」がないので、ラジオでもアーティスト名を紹介できない。そこで、困った彼らはこのマークに音を付けはじめます。”もとぷりんす”。雑誌はマークすら使わずに、元プリンスで記事を再開します。人から人に伝えにくいしるしは、消費社会には不適切なのです。
この一件があって、ぼくはシンボルマークなどはさておいて「名前(文字と音)」は別格のしるしだと位置づけています。これは恐らくパーソナルブランディングに限らず、多くの企業ブランド、商品ブランドに共通することだと思います。

焼印を捨てよ

ことさらに名前が大事だと書いたのは、シンボルマークへのあてつけです。というのも、多くのブランディングの本には、ブランドのそもそもについて「焼印」の話が出てくるんです。(この話はニュートンのりんごみたいなたとえ話にすぎないという話を最近はよく目にする)
シンボルマークはブランディングの小道具としては重要ですが、ともすれば「素敵なマークを作ることがブランディングに欠かせません」みたいなことをそそのかす人もいて困ったものです。(それはCIというひとつの有効な方法ではあるんですが…)
パーソナルブランディングのしるしは「なまえ」がよろしいでしょう。この「なまえ」という器の上に盛っていくのがブランディングです。何を盛るかというと「(しるしから)連想されること」を盛っていくわけです。で「連想されること」というのは、特定の人の頭の中に植え付けたり、育んだ”偏見(先入観)”が、しるしに触れた瞬間に脳裏に浮かび上がることにほかなりません。

つづく




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?