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ブランドとは偏見という話。01

俺のマーケティング

マーケティングの仕事を40年近くやっいるのですが、マーケティングというものをどう定義したらよいものか、年々わからなくなっております。最近自分では、”よりよい価値交換を促す行為”みたいに思っているのですが、それはおそらく自己流の定義なので、偉そうには口に出していません。

ただ、自分が仕事をしていく上で、何らかの”根ざした思考”というのを持っていないとやっていられないので、それを近所のハンバーグ屋さんの真似をして”俺のマーケティング”と呼ぶことにしました。その"俺ま"を、少しず文字にして行こうかと思います。

最初のネタは”ブランド”にしてみました。こいつもやっかいな代物で、ブランドに関する本を読めば読むほど、ブランドを見失ってきました。ああ、そうなんだろうなあと思いつつ、自分の仕事にはぜんぜん役立てられないのです。ブランドの本には、なんか”めちゃくちゃやりました!すごい”って感じの会社のブランディングの事例が多いのですが、僕のお取引先にはなかなか当てはまらないのです。そこで、自分なりのブランドの取り扱い方を作って、それこそ”俺ブ”で申しわけありませんて仕事をしています。

熱中小学校

地方創生プロジェクトの熱中小学校では、何度かその”俺ブ”をテーマに講師をやっていて、まずはそのときの様子を書きますね。この学校は、大人のための社会学習の場で、ちょっと人が減っちゃってるような地方の市町村にあります。いろいろな分野の著名な方がボランティアで講師をやっていて、生徒さんも20代から80代以上まで、様々な職業の男女他が集まっています。

この場で、ブランドの話をするのは3つの点からとても有意義です。ひとつは、マーケティングをあまり知らない人たちにも、ある程度理解してもらうための自分の工夫が生まれること。ふたつめは、幅広い消費者目線からの反応と声が拾えること。3つ目は自分よりもたくさんのブランド本を読んでいて、件のブランド沼に引きずり戻そうとする人がいないことです。

エジソンの涙

このセミナーの冒頭は「これはブランドですか?」というやりとりをします。

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最初にこいつを見せます。大体の人が「あまり見かけないが、たぶんブランドだと思う」「これは有名なブランドではない」「これどこかで見たけどよく思い出せない」みたいな感じです。50人中ひとりふたりが会社名を言い当てます。これって、飛行機に乗るとき見かけない?というと、目に触れた経験を思い出す人が現れますが、何のマークかは当てられません。ジェネラル・エレクトリックという会社のマークですと知らせると、ようやくかなりの人が「へ~っ、知らなかった」って感じです。ここまで話しても、わからない人もいます。

次にこれを見せます。

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50人ぐらいの中から大体2~3人の男性が「これはブランドです」と答えてくれます。「高級ですか?」と聞くと「はい」と答えます。「有名ブランドですか?」と聞くと意見が別れ、意見調整してもらうと「車好きな人には有名だ」という、言ってほしかったことを答えてくれます。

先入観

この最初のやりとりだけでも、ブランドの性質がいくつか分かってきます。ひとつは、シンボルマークはブランドを想起する場合とそうでない場合があるということです。(この段階ではブランドとは何か?みたいなことは深く考えないで…)つまり、シンボルマークは知らない人にとってはブランドは成立しないということです。GEの例では「ジェネラル・エレクトリック」という社名そのものも、知らない人にとってはその単語が意味するもの以上に、何か特別に想起するものはなく、ブランドが成立していません。

マセラティ(2番めのシンボルマーク・恵比寿の反社さんがよく乗ってるイタリアの自動車メーカー)の例は、ブランドが成立する集団(社会?市場?)と成立しない集団があるということを匂わせてます。また、成立する集団の中では「高級」のようなモノサシが共有されていることもわかります。

言葉に似てる

ブランドの性質は言葉に似ています。「心太」という文字の意味が分かる人にとっては、そのツルツルした様子がイメージできますが、読めなければ意味不明、または文字面から「メンタルがタフ?」みたいな間違った意味を想像してしまいます。(心太=ところてん)それが通用する社会とそうでない社会がある点でも、ブランドは言葉に似た性質を持っています。

こうなってくると、少し「記号」の話をしたくなります。

それは次回に、今日はここまで。



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