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「無条件の愛のワーク 吉福伸逸のセラピー ハードなアプローチは有害か?その8」

カウンセリングを学ぶと、「無条件の愛」という言葉が出てきます。

しかし、この「無条件の愛」というのが、なかなか曲者です。偽りの共感で表面的に「愛してるよ」というのとは違います。

沈むつつある船に、ライフジャケットが1枚しかなくて、子供と自分とどちらかが生きなければならない。その時に子供にライフジャケットを譲るのが無条件の愛かもしれませんが、あっさり「私は、子供に渡しますよ。当然でしょ?」なんていう人は、「はぁ、そうですかぁ」と思うけど、ごめんなさい、なんか嘘っぽく聞こえちゃう。

どうしたって、「自分だけ生き残ろうか?」って気持ちが起こるのが人情というものです。全然そんな気持ちは起きないって方もいるのかも知れませんが・・・。僕も、自分だけ助かろうかって気持ちが、浮かんじゃうのではないかと思います。ごめん俺だけ助かると言って、ライフジャケットを着て、海に飛び込もうとしたけれど、一歩が踏み出せないで、一瞬立ち止まってしまう。そんなとき、初めて無条件の愛が顔を出すかもしれません。

いやいや、そんなに難しいことを考える必要はない。ふとした瞬間に、なんの前触れもなく、その人のことを愛おしいと感じることってあるじゃないですか?それこそ無条件の愛だと言う人もいます。

どうも簡単に「これが無条件の愛だ」と言えるものではなさそうです。

「無条件の愛」って、カウンセリングや 臨床心理の世界でも、結構あっさり言ってしまうけど、実は、奥深い。

「無条件の愛」も、「100%の怒り」と同様、日常生活の中では、めったに体験できるものではありません。

世界はジャッジメントばかりです。資産、学歴、偏差値、地位、容姿、人気、所属する組織の大きさ、人種、語学力、あらゆる項目で、人々はジャッジされ選別され差別されます。

おそらく、多くの人たちは生まれてから暫くの間、無条件の愛をまわりの人たちから受けてきたのだろうと思います。

しかし、そんな幸せな日々は長くは続きません。特に今の子供達は大変です。早いところでは、幼稚園受験で選別され、英語・水泳・サッカー・ピアノ・お習字などありとあらゆる習い事をさせられ、小学校3年からは中学受験のための準備が始まり、受験で選別され、めでたく受かったとしても、同級生たちとの熾烈な競争が待っているのです。その後も大学受験、就職、結婚、昇進などなど、永遠と競争が続いていきます。

私たちは、常に、比較され評価され、評価が高ければ愛されるという環境の中にいるのです。「・・・だから」という条件でしか愛されないと、人は、他者からの評価に執着し、自分の気持より、他者からの欲求に従おうとするのです。この結果、人は、自尊心を次第に失っていきます。

このような社会の中で忘れていた「無条件の愛」に再会するエクササイズが、吉福さんのやっていた「無条件の愛のワーク」と呼ばれるものです。

進め方は、「『どけ』のワーク」とほぼ同じです。グループで行うエクササイズで、3人一組となり、ひとり(A)が無条件の愛を与える役、ひとり(B)が無条件の愛を受ける役、残る一人(C)は、オブザーバーとなります。このエクササイズは、基本的にみんな立って行います。Aは、無言でBに無条件の愛を表現します。Bが本当に心から無条件の愛を感じたら、Aとハグして終了というものです。Cは、「『どけ』のワーク」と同様、けっしてAとBが妥協しないように、必要に応じて介入します。

このエクササイズも、時間がかかります。ひとり1時間かかることもあります。その間、じっとお互いを見つめ合っているわけですから大変です。最初のうちは、満面の笑みをたたえて身振り手振りを加えながら、Aは「無条件の愛」を表現しようとするのですが、どうしても本気になれないという状態が続きます。なにをやってもダメ、なにをやっても通じないという状態にAが陥ると、ついBは妥協してハグに行こうとしてしまうのですけれど、そこは、CがOKでなければ、仕切り直しになります。また、先にエクササイズが終わった人たちは、部屋の中を歩き回り、C役の人たちのお目付け役になります。Cが妥協しようとすると、歩きまわっているお目付け役が止めに入るのです。このため、Aには、益々プレッシャーがかかります。Bも、Aに対して申し訳ないという気持ちが沸き上がってきます。でも、CやCのお目付け役である通行人たちが妥協を許してくれないのです。そのように限界まで追いつめられたとき、AとBは普段の生活で使っているペルソナをすべて捨てるときが来るのです。そのときに間主観的な場ができあがり、AとBとの境界がなくなり、お互いがお互いの気持を無条件に受け入れる瞬間が訪れます。AはBのことを無条件に愛おしく大切な人に感じ、BはAの気持ちを受け入れ、ハグとなり、その後経験をシェアしてエクササイズは終了となります。

このエクササイズも、やはり強力です。なかなか無条件の愛が表現できない人も少なくありません。どうしてもできない人はそれでもいいのです。それでも、自分の心のプロセスに気づくことができるでしょう。自動思考に気づくかもしれませんし、自我防衛機制に気づくかもしれませんし、感情スキーマに気づくかもしれません。

ひねくれものの私にとっては、これも難しいエクササイズでした。「無条件の愛なんてあるわけないじゃないか!」、「無条件の愛なんていらないよ!」という気持ちがありました。でも、それが、ある瞬間に、すっと消えるのです。それは、とても不思議な、しかし懐かしい感覚でした。

「無条件の愛のワーク」は、「どけのワーク」とペアで行なわれることが多かったです。その二つのワークだけで、1日がかりになることもありました。「無条件の愛のワーク」というタイトルですが、やはり、妥協を許さないハードなワークでした。


*条件が多くて疲れている小中学生をおイメージしてChatGPTに描いてもらいました。

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