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「ストーリーが世界を滅ぼす」 ジョナサン・ゴットシャル 著 東洋経済新報社

暴力が集合的に暴走していくことがあります。


これは僕の考えですが、

段階1:被害者Aの発生→段階2:被害者Aの救済、加害者はBと特定→段階3:加害者とされたBへの過度な攻撃→段階4:Aが加害者に転じる→段階5:被害者Bの発生→段階6:被害者Bの救済、加害者はAと特定→段階6:加害者とされたAへの過度な攻撃→・・・

というようなコースをたどることが少なくないように思います。


段階2、6で、あまりに0−100のジャッジメントをしてしまうと、段階3、7に進んでしまうのかなと思います。攻撃が過度になってしまうと、暴力が連鎖し巨大なエネルギーになっていくように思います。

ほとんどの戦争も、侵略も、内紛にも、個人的な争いにも、この暴力の暴走の可能性があるのではないかと僕は考えています。


段階3、6においてBないしAを過激に攻撃するのも、最初は少数意見なことが多いです。「まあ、そこまで言わなくても」というのが、大勢の意見だったりします。しかし、少数意見が急激に巨大化することがあるわけです。少数意見に火をつけるのは、この本で言う「ストーリー=物語」なのでしょう。


著者の造語で「ストーリーバース」という言葉があります。「ストーリーバース」とは、「子供時代に枕元で聞いたお話からネットフリックス、インスタグラム、ケーブルテレビのニュース、礼拝の場で聞く説教まで、あらゆるメディアで私たちが消費する物語が作り出した、心と感情と想像の中の空間(p.228)」です。


「ストーリーバース」の中で、人は独自の物語を作ります。物語は、正義と悪を作り出します。その判断基準は、たいてい理性より感情が大きく影響するようです。


人は、多様性が保持された集団の中では、討論の結果は、妥協的なものになっていきますが、同質的な集団が懐疑や反論から隔離されると、「最も過激な立場に一気に引っ張られる(p.245)」ことになりがちです。


トランプ旋風(一部のメディアが発信するニュースに「フェイクニュースだ!」とアピール、支持者が連邦議事堂を襲撃など)や多くの陰謀論には、そうしたメカニズムが大きく働いているのでしょう。「ナラティブはダークなほど道徳主義のエネルギーで活気づき、物語戦争で勝ちやすくなる(p.256)」ので、陰謀を企てる悪を定め(事実とは異なる物語でも構わない)て、そうした悪を攻撃する人たちがグループを形成したら、そのグループは強力なエネルギーを持ちうるのです。


著者は自分自身のことを、リベラルな考えを持っていると述べていますが、実は、同じリベラルな人たちからの攻撃も恐れているのです。いや、より恐れているようです。


驚いたのは、「1960年代すでにアメリカの大学の史学部は、共和党派の歴史家1人に対して民主党派は2・7人と大幅に左に偏っていた。しかしアメリカのトップ40の高等教育機関の8000近い学部を対象とした最近の調査では、歴史家のリベラル派と保守派の比率はなんと33・5対1にまで差が開いていた。(p.245)」という点です。最近、共和党が強くなってきたのかと思っていたのですが、実はアカデミックな世界では民主党が圧倒的に強いのでしょう。民主党vs共和党の争いは、リベラルvs保守という枠組みだけでは捉えられない側面があるのでしょう。


そして、「学術界のイデオロギー的な同質性は、特にジェンダー、人種、性的指向などアイデンティティの問題をめぐる不可侵で議論の余地のない信条に関して問答無用の権威主義的な傾向が高まることにより、拍車がかかっている。(p.247)」という状況の中で、こうしたテーマについて、学術界のマジョリティーと少しでも異なる意見を述べることは、危険でもあるわけです。

この本を読んで、アメリカにおいても、ストーリーが作る「空気」が存在していることに少々驚きました。いや、「空気」は元々あったとは思うのですが、僕が留学していた1990年代と比べて、相当強くなっているのではないかと感じました。それは、ネットによる影響も強いのでしょう。


著者は、言います。


「物語を憎み、抵抗せよ。

だがストーリーテラーを憎まないよう必死で努めよ。

そして平和とあなた自身の魂のために、物語にだまされている気の毒な輩を軽蔑するな。本人が悪いのではないのだから。(p.273)」


とりあえず、僕は、あらゆる物語をそのまま信用しないようにしています。しかし、僕自身にも特有の「ストーリーバース」があるはずで、自分の独自の物語に巻き込まれる可能性についても心しておかなければいけないですね。


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