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「縮小ニッポンの再興戦略」 加谷珪一 著 マガジンハウス新書

バブルの頃、日本は傲慢でした。当時石油会社の技術屋だった僕がアメリカに初めてひとりで出張に行った時、日本人のサラリーマンたちが集団でアメリカの悪口を(もちろん日本語で)言っているのをよく見かけました。彼らは、フラットトップのアメ車がエンストするのを見て、「だから、アメリカはダメなんだよ」と嘲笑したり、レストランの料理に「大味だね」などとケチをつけたりしていました。


当時の日本人は、アメリカをばかにしていたのです。その雰囲気を象徴的に示しているのが、1989年に出版された『「NO」と言える日本』(光文社)です。著者は、石原慎太郎氏(政治家)と盛田昭夫氏(ソニー創業者の1人)。その中で、石原氏は、「仮に日本が、半導体をソ連に売ってアメリカに売らないと言えば、それだけで軍事力のバランスががらりと様相を変えてしまう」(同書)と述べ(p.137)、盛田氏も「米国企業が日本企業に負けたのは企業努力が足りないことが原因であり、日本が成功したのは企業努力の結果であることを強調」していたとのことです(p.137)。


90年代後半に、僕はサンフランシスコにいたのですが、その頃も日本では携帯電話(ガラケー)が普及しているのにアメリカではまだまだという状態で、そのことなどでアメリカを下に見る人はいました。留学生でそんな見方をする人は見かけませんでしたが、日本から来た会社員や◯◯や△△の中には、そういう人がおられました。その頃すでにバブルは崩壊し、日本の景気は低迷傾向になっていたのですが、まだそんな雰囲気だったのです。


そして、2000年以降に、日本企業の業績悪化が本格的に始まって、現在に至ると言うわけです。気づいたら、主要先進国の地位から脱落しつつある(p.193)というところまで来てしまいました。


1980年代にJapan as No.1と言われた日本は、抜群に優れていたから高度成長できたのでしょうか?


確かに日本人は勤勉でよく働いたのでしょう。でも、それだけで日本の高度成長が実現したわけではありません。


著者は、「日本の高度成長は朝鮮戦争と中国の革命という2つの偶然が作用して実現したもの (p.7)」と言います。つまり朝鮮戦争による特需と、中国の内戦と大躍進計画の失敗により、向かうところ敵なしで成長できたという幸運にも恵まれたのです。それなのに、バブル期の日本は、自分の力を過信し驕り高ぶってしまったのです。まさに「奢る平家は久しからず」・・・ですね。


同じような輸出主導型のドイツは、日本とは違うアプローチをしました。日本は、努力の足りないアメリカの企業が倒産するのは当たり前だと言う態度でしたし、有力な政治家である石原慎太郎氏が前述のような発言をするような雰囲気だったのですが、ドイツは、自国の輸出拡大で仕事を奪われるアメリカ人たちに対し配慮を示し続けたのです。


ドイツ人ジャーナリストのゲルマン・ダンブマン氏によれば、ドイツの政府関係者は「常に米国と緊密な連絡を取って」いたそうです。

同氏は加えて「(日本人は)欧州各国が対外文化事業にどれだけ資金を投じているか知っているだろうか」と述べており、対外コミュニケーションを軽視する日本政府のスタンスについて疑問を呈しています(p.140)。


日本の凋落の直接のきっかけは、IT革命です。


IT革命以降「価格が安く精度が低い汎用の部品であっても、装置全体をソフトウェアで制御し、部品と部品の特性の違いをソフト上でコントロールできれば、精度の高い部品を使った製品と同レベルの性能を10分の1の価格で実現できます。(p.97)」という時代になったのですが、その波に日本は乗り遅れてしまったのです。


以前、サイバーセキュリティー担当大臣がUSBを知らなかったなんてこともありましたし、どうも偉い方々にIT関連を敬遠する雰囲気があるように思います。


また、「諸外国では16歳〜34歳までのITスキルはほぼ同レベルですが、日本では24歳以下になると急激に低下します。(p.187)」とのことですから、若年層に対するIT教育が遅れているということでしょう。受験勉強なんかやめてIT教育を強化すればいいのにと思います。


著者によれば、IT革命以降、「「受験勉強型」から「創造力発揮型」へのパラダイムシフト(p.94)」が必要だとのことです。これは、僕もそう思います。


これまでの日本はより高性能なモノを作って、それを売って儲けてきたわけですが、それは、目的志向型の集中的思考が有効でした。受験勉強も同じです。目的に向かって、一直線に進んでいくというわけです。


ところがIT革命以降は、創造力が必要になってきます。創造力とは脳内の新たなネットワーキングの構築だと思います。一見関連がなさそうなモノ同士を結びつける能力です。そのためには、分散型の思考・・・あれやこれや考えを巡らすようなやり方が必要なのです。


そして、著者は、日本は、ドイツのように輸出主導ではなく、アメリカのような消費主導型の経済成長を目指すことができるのではないかと言います。消費を増やす経済理論は今のところないのだそうですが、大まかに言えば、明るい将来が見込まれるのであれば、人の消費マインドは活性化されるでしょう。逆に不安な未来しか見えなければ、将来に向けて、せっせせっせとお金を貯めるようになるでしょう。


明るい未来を若者に見せるのは、年上の者の大事な役目だと思います。最近読んだ本に「Die with Zero」があります。内容は、自分で稼いだ金は、死ぬまでにできるだけ使っちゃいましょうと言う本です。程度の差はあれ、少子化の流れは止まりませんから、子孫に代々財産を残していくと言う発想がなくなっていき、「Die with Zero」が当たり前になってきたら、消費も増えるのではないかと思います。


あと、今みたいに、ほぼ同じ仕事をしながら、非正規雇用と正規雇用が存在し、それらに大きな格差があるといった状況は好ましくないと考えます。


そして、たとえ今うまく行っていなくても、やり直しのきく社会にならないと・・・と思います。


これは、結構可能性あるのではないかと、僕は考えています。少子化で大学の経営は厳しくなるでしょうから、生涯教育という触れ込みで、社会人を経験した人が再び勉強するということが奨励されるようになるでしょう。そうした生涯教育で希望が持てる社会にすればいい。


また、謙虚に海外から学ぶべきだと思います。ともすれば、すぐに「外国と日本は違う」「何でも外国の真似をすればよいというものではない」(p.194)と言ってしまう人をよく見かけますが、それは新しいことにチャレンジしたくないというエクスキューズだと僕は考えています。


アメリカに留学していたとき、とても驚いたのが、アメリカ人が日本のことをとてもよく研究していることでした。僕はアメリカでカウンセリング心理学を学んだわけですが、インターンをしていたとき、スーパーバイザーの先生が「ヨシ(←僕のことです)は、日本人だから、日系人のクライアントにナカーンを試すのも面白いのではないか?」と言うのです。最初は何のことかわからなかったのですが、説明を聞いて「あぁ、そうか!」と思いました。「ナカーン」とは、「内観療法」のことだったんです。そしてその内容についてもよくご存知でした。そういえば、森田療法も最初日本では評価されず、アメリカやヨーロッパで評価され広まりました。海外の人たちは偏見なく貪欲に知識を吸収しようとしています。そうした姿勢を、もっと日本も持った方がいいのではないかと思います。


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