見出し画像

「自転しながら公転する」 山本文緒 著 新潮文庫

一人の女性の32歳から34歳になるまでの物語です。都はショッピングモールのアパレル系の店の非正規社員で、母は重い更年期障害で家事もまるでできない抑鬱状態にあります。都は、同じモールの回転寿司屋の板前の寛一と付き合うようになります。


都が寛一とのことを初めて友達に話す時の友達の様子が辛辣です。

「ウケるんですけど!」

口々に言って皆は笑った。わき腹を押さえて涙まで浮かべている。別に何も可笑しい話ではないはずだが、昔から彼女達は都が真面目に語れば語るほど爆笑した。(p.59)

「ちょっとミャー、少しくらい親切にしてくれたからって別にそんなのと飲みに行く必要ないって。ただのヤンキーの車詳しい自慢じゃん」 「ちゃんとした寿司職人っていうならまだしも、回転寿司の店員でしょ?」 「ミャーにはもっといい男ができるって。そんなので妥協しちゃだめだよ。貫一おみやって何だよ。そいつ、単にやりたいだけなんじゃないの?」(p.60)


都は、元々、いわゆる「森ガール」と呼ばれるファッションが好きで、友達の中では、いじられる役だったのでしょう。


「去年のシーズン頭にネットで見てどうしても欲しくて買った、たっぷりとギャザーが寄ったフランネルのワンピースをかぶる。ツイードのジレを合わせ、ニットレギンスにフェアアイル模様のレッグウォーマーを重ねて穿き鏡の前に立った。靴は革のアンクルブーツが合いそうだ。(p.41)」という感じのファッションなのだそうです。僕には、「専門用語」が多すぎて、さっぱりわかりませんが、ワクワク感は伝わります。


グループのリーダー格は絵里で、エリートの会社員と結婚したいわゆる勝ち組です。都のことを下に見ているのかなと思います。女子の世界、なかなか怖い。


今の若い人たちは大変だなぁと思います。

例えば、都が寛一に言った言葉;

「家事をやりつつ、家族の体調も見つつ、仕事も全開で頑張るなんて、そんな器用なこと私にはできそうもない。でも世の中の、たとえば子供いる人なんかは、みんなそうしてるわけでしょ。ジャグリングっていうの、あのボウリングのピンみたいなの、四本も五本も一斉に回してるみたいな生活を毎日してるんでしょ。なのに私、これしきのことで、なんか頭がぐるぐるしちゃって(p.79)」

確かにそんな感じ違なのでしょうね。若い人たちに対し、今の世の中、あまりに要求が多すぎます。やれ即戦力だとか成果を出せとか。そういう50代以上の人たちは、バブルのおこぼれで呑気に過ごしていたのに。


都の言葉に対して、寛一は「そうか、自転しながら公転しているんだな」と、妙な納得の仕方をします。しかもその後、「地球は秒速465メートルで自転して、その勢いのまま秒速30キロで公転してる(p.80)」なんてうんちくを傾けちゃうんですね。同じうんちくを僕は女子たちに話したことがありますが、全く関心を持っていただけませんでした。


もう一つ、寛一と僕のうんちくで全く同じだったのは、「運命は決まっていない」という説明で、「ラプラスの悪魔」を使ったシーンです。

「ラプラスの悪魔っていうのはなあ、十九世紀フランスの数学者のラプラス卿って人が考えた理論で、人類のたどるシナリオはすべてあらかじめ決まってるって概念なんだ。世界に存在する全ての原子の位置と運動量を把握できるような知性が存在するとする。まあ神様だと思えばいいよ。その神様は原子の時間発展を計算することができるだろうから、先の世界がどうなるか完全に知ることができるだろうって考えたわけ。でも世の中のすべての成り行きを知ってるなんて、神っていうより恐ろしい悪魔みたいじゃねえ? それでいつの間にかラプラスの悪魔って呼ばれるようになった。二十世紀に入って量子力学が登場して、すべての原子の位置と運動量を知ることはできないってことが常識になるまで物理学者は本気で悩んで、(p.390)」と、寛一は得意になって話すのですが、都は最後まで聞いてくれませんでした。・・・そりゃあ、そうですよね。


寛一は、元ヤンキーのようで、しかも中卒です。しかし、読書家なんですね。そのためか、論理的に考えることができるため、都の父親らの変な昭和の価値観「学歴主語で、家族を作って子供を育て上げるのが幸せ」には、びくともしません。


今の世の中、生きいていくのは大変です。特に、若い人たちは、不安でしょう。


都の友達のそよかが、その不安の本質をズバッと指摘します。、

「都さんの迷いの根本は、自活できる経済力がないことなんじゃないですか。誤解されるとあれなんですけど、私は誰しもが自活できる金銭を稼ぐべきって思ってるわけじゃないんです。人にはいろんな事情や背景があって、たとえば家族の介護をしてたり、いろいろですよね。でも都さんの場合は、貫一さんに対して持ってる不安って経済的なことだけですよね。彼とこの先好ましい関係を続けていきたかったら、都さんがそれをカバーできる程度に収入を増やしたらどうでしょう。貫一さんは今一人暮らしをしてるんだから、本来なら問題はないはずですよね。都さんが持っている不安は、貫一さんの将来じゃなくて、自分への不安じゃないですか(p,286)」


辛辣ですが、的を射ています。厳しい時代です。


都は、自分を変えようと葛藤しますが、その過程でも、嫌な体験をしてしまいます。広島の水害へのボランティアに参加した時に、ボランティアのベテラン女性から、「ボランティアに来るのに、こってりメイクしてお洒落して。お喋りばっかりしてサボってるし、まったく何しに来たんだか(p.473)」 、「トイレだってスタッフに聞きもしないで勝手に行っちゃって。遊び半分の自己満足なのよ。ああいうのほんと迷惑(p.473)」などと言われてしまいます。こうやって、人の前向きな気持ちを潰しちゃうこと多いですね。ちなみに、被害者である地元の人たちからは、都は感謝されているのですが・・・。


最後の、「別にそんなに幸せになろうとしなくていいのよ。幸せにならなきゃって思い詰めると、ちょっとの不幸が許せなくなる。少しくらい不幸でいい。思い通りにはならないものよ(p.504)」という登場人物の一人の言葉に、少し救われた気がします。


とても、心に残る小説でした。著者の山本文緒さんは、闘病生活の後、2021年10月13日に亡くなってしまいました。残念です。合掌。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?