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「バッティングピッチャー」 澤宮優 著 集英社文庫

僕にとって、落合博満は、最高の打者です。素人視点なのですが、落合のスイングは、バットのヘッドが他の打者よりもっと遅れて出てきて、バットのやや上にボールを乗せて、一気に振り抜くように見えました。ボールは、理想的な軌道を描いてスタンドに向かって飛んでいきました。長嶋も王も張本もそれぞれ個性的な素晴らしいスイングだったのですが、僕には、落合のバッティングが最もしなやかで美しかったのです。

この落合のバッティングを作っていった大きな要素が、打撃練習です。落合の打撃練習は独特でした。バッティングピッチャーには、遅い、とにかく遅いボールを要求しました。球速にすれば80キロ程度になります。これは、大谷翔平くんの半分のスピード、若い頃の何もスポーツをやっていなかった僕でも出せたスピードです。しかし、このスピードでストライクを取るのは、逆に難しいのです。ロッテの立野清広、中日の渡部司、巨人の岡部憲章の3人が、落合の要求するボールを投げることができました。この遅いボールを完璧に打つフォームができてこそ、本番の速いボールを遠くに飛ばすことができるのだそうです。さらに、落合はバッティングピッチャーに、自分の打撃フォームをチェックすることを要求し、その言葉を参考にフォームを修正していきました。その成果が、三冠王3回、MVP2回、首位打者5回、本塁打王5回、打点王5回という結果となりました。


バッティングピッチャーは、職人です。例えば、長くイチローのバッティングピッチャーを勤めた奥村幸司は、調子を落として肩の開きが早くなっている打者に、普段より2〜3キロ球速を遅くした球を投げます。すると、遅れているバットのタイミングに合うので、きれいに打てる感覚が戻るのです。感覚が戻ると、打者側に微調整ができる余裕が生まれるのでしょう。イチローは、奥村の最初の5球をレフトに、その後左中間、センター、最後にライトに引っ張るという打撃練習をしていたのだそうです。投げるも名人、打つも名人ですね。

バッティングピッチャーには、50歳を超える人もいます。例えば、広島の前田智徳のバッティングピッチャーだった井上卓也は、55歳まで投げました。


元一軍の投手だった人がバッティングピッチャーになる場合もあります。巨人のエースだった入来祐作は、メジャーリーグ挑戦後引退し、横浜のバッティングピッチャーを勤めました。逆に元バッティングピッチャーで、一軍の投手になって勝利をあげた中日の西清孝のような例もあります。西は球団に直訴し、バッティングピッチャーから二軍投手になり、一軍に昇格し、入団から13年目31歳の時、プロ初勝利をあげるのです。

まだ、バッティングピッチャーシステムが確立されていなかった頃は、売り出し前の稲尾和久や小山正明が投げていたこともあったのだそうです。専門職としてのバッティングピッチャーのシステムが誕生したのは、長嶋茂雄の時代あたりからのようです。長嶋さんも王さんも落合さんも、バッティングピッチャーには、とても感謝していたようです。

バッティングコーチは打者の後ろないしは横から見ることになりますが、バッティングピッチャーは、打者を前から、投手の立場で見ることになります。そのため、コーチが気づかないちょっとした構えやタイミングの変化に気づくことができます。その微妙な変化を掴んで、打者が調整しやすいような球を投げるのです。彼らは、常に打者とコミュニケーションしているのです。マシンにできることではありません。バッティングピッチャーは、メンタルコーチのような存在でもあったのかもしれません。


この本で初めて知ったのですが、バッティングピッチャーというのは、日本独自のシステムなのだそうです。ボールを介した阿吽の呼吸の非言語のコミュニケーションは、日本人が得意とするところなのではないかと思います。




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