「方丈記」 鴨長明 著 簗瀬一雄 訳注 角川ソフィア文庫
鴨長明は、晩年、60歳をすぎてから、一丈(約3m)四方の小さな家に住み、「方丈記」を書きます。方丈というのは、自分の小さな家を示していたわけですね。
最初は、父親のほうのおばあさんの家屋敷をに住んでいた。(106)のだそうで、それから比べると、1/100ぐらいの大きさの家になってしまったのです。
それで十分だったのでしょう。「わが身一つをとめるのに、不足はない。やどかりは、小さい貝を好むものだ。(112)」と長明は書いています。
それまで、京にはひどいことがたくさん起こりました。大火事や地震や飢饉、その度に多くの人が死にました。
長明は、「いったい、出家遁世してからは、他人に対する恨みもないし、恐れるということもなくなった。いのちを天の支配のままにまかせているのだから、惜しんで長生きしようとも思わないし、また、生きていることがいやになって、早く死にたいとも思わない。(p.114)」と言います。
それでも、「生まれたり死んだりする人は、どちらから来て、どちらへ去って行くのか(p.94)」は、わからないのです。
長明は、「けがれたままの舌をうごかして、阿弥陀如来をお迎えする儀礼もととのえず、ただ念仏を二、三べんとなえるだけ(p.116)」なのです。
長明が終の住処に住んでいたのは、1〜2年ぐらいだったようです。
内田樹さんの本の中で方丈記が触れられていたし、現代語訳があったので、読んでみました。
しかし、これ、高校で習うんだよなぁ・・・。
予備校の先生が、受験に勝ち抜くために、方丈記を読ませたはいいけれど・・・
受験生に、「無常を知った僕は、出家し、方丈の家に住み、ただ念仏を唱えることとする」なんて言われちゃったら、どうするんだろう?
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