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「シニア右翼」 古谷経衝 著 中高新書ラクレ

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『──戦前「鬼畜米英」を叫び、町内会長として翼賛体制を賛美し、中岡家を非国民と罵って弾圧していた鮫島伝次郎に中岡元が戦後再会したくだりで。

ゲン「おっさんは調子のええ奴じゃのう 鬼畜米英と叫んでいちばんよろこんで戦争に参加していたのに……散々わしらを非国民といっていじめやがって 日本が戦争に負けると今度は戦争に反対していた平和の戦士か つごうがいいのう」

鮫島「ウッ」

ゲン「おっさんは大きな顔をして人前に顔を出すな おっさんみたいなええかげんな奴が市議会議員になったら何をするかわからんわい」

鮫島「だまれっ だまれっ みなさん鮫島伝次郎はウソを申しません」 (『はだしのゲン』第四巻、中沢啓治、中公文庫コミック版)p.130』
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これは、「はだしのゲン」から著者が引用した文章です。この主人公ゲンと同じような感覚を、僕は子供の頃持っていました。僕は1957年生まれ、敗戦後12年経っています。しかし、僕が小学生だった頃まで、「少し前に戦争があった」という空気がありました。川崎の駅前では、足のない傷痍軍人が物乞いをしていました。それは、とてもリアルな情景です。戦前、戦中の軍国主義の影響をまざまざと見せつけられました。戦争は愚かだと、子供心に思いました。

しかし、一方で、当時の大人たちの言葉からは、リアリティを感じられなかったのです。多くの大人たちは、口々に「私は、戦争には反対だった」「ばかな戦争をしたものだ」「物量的にもアメリカに勝てるわけがないではないか!」と言っていました。そうした言葉に、心を揺さぶられることはありませんでした。

当時は学生運動も盛んでした。「安保反対!」と叫びながらジグザグにデモ更新をする学生たちも間近で見ました。やがて、「反戦歌」を歌うフォークシンガーたちも出てきましたが、聴いていて、何か違和感を感じたものです。

要は、戦後民主主義が、どこか胡散臭かったのです。胡散臭かったけれども、戦後生まれの人たちは、生まれた時から、「平和主義・基本的人権の尊重・国民主権」の憲法三大原則を護持する価値観の中で育ちました。1990年代ぐらいまで、戦後生まれの人たちは、この価値観を主張してきました。その価値観は変わらないのだろうと思っていました。

僕は、1997年から2001年まで4年半、アメリカでの留学生活をしていて、その間ほとんど日本に帰っていません。2001年に久しぶりに帰国した時、心から驚きました。「南京虐殺はなかった」「日本の東南アジアでの戦闘はアジアの国々の解放の意味合いがあった」といった言葉が溢れ、中国・韓国に対するヘイトスピーチがそこここで聞かれました。かつては、左系のコメンテーターばかりだったメディアは、右系の論客たちに取って代わられました。

そして驚いたのは、僕と同世代の人たちが熱心にヘイトスピーチをしていたことです。僕らよりひと世代上のいわゆる全共闘世代の人たち(1940年代生まれ)の中にも、僕よりひと世代若い人たちの中にも、そうした人たちがいました。

著者は、最初、右系の論客の一人で、そうした雑誌の編集長もやっており、ネトウヨの人たちともたくさん仕事をしてきたのです。著者は1982年生まれですから、ネトウヨさんたちの主力から比べるとかなり若手でした。

やがて著者はネトウヨさんたちが共有する世界から離脱します。ネトウヨさんたちがYouTubeなどネットからの情報を鵜呑みにして、ほとんどの人が本も読まずに安直に右系の主張をしているのを見てきたからです。

そして、著者は、「このような環境(戦後民主主義のこと:注向後)に居た現在のシニア層が、21世紀を過ぎて降ってわいたように中国、韓国を見下し馬鹿にしたり、女性蔑視を露骨にしだしたりするのはなぜなのだろうか。(p.135)」という疑問を持ちます。全く同じ疑問を、僕は持っています。なぜ彼らが変節したのかわからない。

著者は、その理由を「戦後民主主義の大原則は、彼らの中ではまったく咀嚼されることなく、「ただなんとなく、ふんわり」と受容されていたに過ぎないから、後年になって動画という「一撃」で簡単にひっくり返ってしまったのである。(p.136)」と考えています。全く同意です。多くの人たちにとっては、「本気」ではなかったのでしょう。

日本の戦後民主主義が軟弱だったのには、著者が言うように、「アメリカにしてみれば、日本に親米傾向を持たせたまま経済復興を成し遂げさせるのが、アジアにおける共産化を防ぐ最もコストの安い選択であった。(p.146)」ということと、「そして日本の経済復興をより急ぐためには、どうしても旧体制の人々を戦後社会の中枢に復帰させるしか道は無かったのである。(p.146)」ことが大きく影響していると思います。

なにしろ、「満州経営の要職を占め、東條英機内閣で商工大臣を務めた岸信介が自民党総裁となり総理大臣になったのを筆頭として、「作戦の神様」と謳われた陸軍の辻政信は国会議員になり、真珠湾攻撃の立案者とされる海軍の源田実が参議院議員となり、第6代朝鮮総督で陸軍大将だった宇垣一成も参議院議員になった(全て自民党)。(p.147)」という状態でしたし、軍の幹部はそのまま自衛隊の幹部になっていきました。これでは、「ただなんとなく、ふんわり」した戦後民主主義になりますから、何か別の状況になったら、あっという間にひっくり返るのもうなづけます。

著者は、それ以外の大きな要素として、ネトウヨ主力のシニア世代のネットリテラシーのなさをあげています。それも可能性はあるでしょう。

僕は、もう一つ、左翼インテリに対する反感があるのではないかと想像します。1960年代、70年代、インテリの皆さんは、なんかよくわからない難しい言葉で、なんかよくわからない主張をしていました。彼らに対しては、なんとなく不快と思っていた人がいたのではないかなと思います。僕は、その一人です。左がかったエラソーなことを言っていた人が、就活で髪を切って、父親が後援していた有力政治家のコネで大企業に就職するというのを、何人も見てきたからです。彼らは、所詮、「エセインテリ左翼」だったんでしょうね。

僕は、「ネトウヨさん」たちの多くの主張には同意できるものではありませんし、ヘイトスピーチは許されないことだと思っていますが、かつての「エセインテリ左翼さん」たちにも共感はできませんでした。



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