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謎の中世預言書『ホロスコープの書』第三十預言とその註釈


(30a) Horoscopus [B;46r, R;100v]

(1) AD FINEM TENDIT BESTIA FINITIVA. ECCE ERGO, SCALA FERVENS AD DESCENDENDUM, NON AD ASCENDENDUM PARATA. UNDE RUINOSE DESCENDET HOROSCOPUM SATURNINUM IN EIUSQUE ACERBO DESCENSU CADET AD INFIMA, ET FIMUS ASININUS ABSORBEBIT EUM ET DEGLUTIET EIUS SORTEM, ET CLAMABITUR UNANIMITER UNA VOCE ‘’HEU! HEU!’’
最後の獣は終末に向かって勢力を拡大する。輝く階段を観たまえ。これは昇るためでなく降り来るために調えられている。そこからサトゥルヌスが時の輪(ホロスコープ)に哀れな姿で降り来るだろう。卑しい者たちの中への苦渋の下降、そこで驢馬の糞を握り、自らの運命に呑み込まれることとなるだろう。「ウェイ、ウェイ」という唯一の声を挙げて。

(2) PRESENTI QUIDEM CIRCULO MUNDI MACHINA INDICATUR, ET, QUALITER EST A SATURNO UNDIQUE OPPRIMENDA, IN HOC CIRCULO DECLARATUR, VIGOR, LICET INCOGNITUS, SEMPER MANEBIT IN EA, PER IPSAMQUE MACHINAM SAGITTE SATURNINE ET GLADII MACHINE MAXIME IN INFERIORI PARTE VIDEBUNTUR, SED OBSCURITATE PROFUNDI VIX POTERIT DISCERNI, QUIA PROPTER ROTUNDI FRUCTUS COMESTIONEM NON CLARE PROFUNDUM POTERIT CERTITUDINALITER INTUERI.
世界の機構は円輪によってあらわされている。この円輪の中にどのようにサトゥルヌスが閉じ込められるかが説かれ、この円輪は活力(生命力)と呼ばれ、知られることなくつねに世界という機構の中にとどまりつづける。この機構の下部にサトゥルヌスの矢と剣が見えてくるだろう。しかし冥界の暗さのせいでそれらはなかなか認めがたい。というのも汝は丸い果実を食べたせいで、これを冥界にはっきりと見ることができないだろうから。

註釈
[A. 梯子(階段)]
(1) 終末に向かって力を尽くし。というのも上述した抑圧の後、すぐさま終末が訪れるだろうと言われているので、その結果としてどのような終末となるのかが、先と同じ様式つまり預言的予表をもって終末とは何であるかがここに明かされる。ここでは過去についてなしたように、未来のすべての予測がすでに完了したものとして示される。この句節においても、三つのものが示されている。
(2) 最初は、終末哀れな姿で降るために炎の中に立てられた梯子(階段)。これによって梯子に結びつけられた像(図)は諸他の付随物とともに、その効果がどれほど壊滅的(哀れ)であるかが示される。二つ目はここを降る者。彼が言うように、それは激しい勢いで降るうちに奈落にむかって墜落する。三つ目はこの下降を追うもの。これは彼(墜落する者)に対する永遠の譴責であり、彼に親しい者たちすべての嘆きである。軽蔑は通常無益で蔑される驢馬の糞であらわされている。これによって死の前に蒙った譴責は吸収される(やわらげられる?)。人物、事物、近親のもののすべてを譴責されたところが。死は彼の定め、つまりその至高の栄光はこれに呑み込まれ、永遠に消え去る。そこで彼は愛する者たちの援けを求めて叫ぶ云々。
(3) 下りの梯子(階段)燃え立つ(煮え滾る)と言われるのは二つの理由から。それは彼自身が邪悪な熱意を込めてつくったものだから。あるいは神の裁きの火に燃え盛っているから。これは八段に描かれており、八つの主要な倒錯(邪悪)をあらわしている。その第一は犀利な狡猾さ、と説明されている。残る七段は刑事犯罪。梯子(階段)の頂には黒い星が描かれている。それはすべての者を照らす星でなければならず、まず黙示録に謂われているように完璧であるにしても、諸悪の総体によって晦まされる。梯子の足元には下降の終わりをしるすように暗い緯度が描かれている。

[B. 大釜]
[4] その他、梯子の両側に描かれたものは付随的なものをしるしている。つまりここを降るものを。その一方には把手が二つある三本足のうつわが描かれている。これの中央から下は幅広で、上へ向かって伸びるうち、両側が合するほど狭い開口部をなしている。
[5] この大釜人の心臓で、瞑想と愛情がすべてを煮立てている。これの上部つまり開口部は「直」あるいは「まっすぐ」と称される。この部分は天に向かっているから。ここではこれはたいへん厳密に描かれており、下降する力彼の心臓の中で案出されることが示されている。彼の心臓はたいへん大きく、開口部に対して下方つまり地面に向かって、下降するうつわの底で広がっている。
[6] 開口部に届きそうな把手はこの世での長生を期待する卓越した愛である。第一の把手は右側の主要なもので、神に背いて(逆して)いる。それゆえに「傾斜」あるいは「斜め」と名指される。第二の把手は左の副次的なもので、まやかしであり、両世界にかけられたもの。そのせいで「世界」の下部は現在の生において信頼するに足りないものを指し示している。
[7] 三脚のうち一本目は「呵責」つまり怖れと、二本目は「懊悩」、三本目は「墜落」と名指される。にもかかわらず、心臓の中での世俗的な思惟の熱はこれの底から生じる。ここで失う恐れなくして、所有への愛なしに、失敗の原因(恐れ)なしに現世の財を愛することはできないことを示すための刺激が示されている。うつわ自体、上から下へと引かれる垂線は、一々の倒錯(邪悪)の心臓(こころ)の中にも。不正の罪を断罪しようとする自然本性的な判断の正しさが欠けてはいないことを示している。

[C. 六角形(六芒星)]
[8] 逆側にはまず、二つの三角形を重ねて六芒星(六角形)が描かれる。その中央にはAがしるされる。これはこの姦通者の名の最初の文字。この図は、自然本性的な三角によって、もう一つの交差しているばかりかその内部で姦淫(混雑)している付帯的な(三角形)を介して下ることが意図されている。人のこころ(思惟)の自然本性的な三角形を介して、神がかたちづくるものが知性、記憶、意志であるが、人はこれを狡猾さ、残忍さ、自惚れによって破壊してきた。

[D.盾]
[9] 六芒星の下には盾が描かれており、その中央には十字があるが、その芯はなく、鍵もしくは蠍の尾で飾られ、これによって下降が保護されることが偽装されている。これはしばしば十字架の熱勢つまりキリストの審き(正義)とされるが、この熱勢は偽で、真実の芯(髄)が欠けている。つまり真の信仰(宗教)であるキリストの審きを促す熱勢が含まれていない。この偽装が計画的な姦通(混雑)によるものであると示唆される限り、これは六角(六芒星)の(に由来する?)盾であると想像される。

[E.期待(待望)]
[10] 第三に、盾の下に大地の球から生じた大地の影が描かれている。これら(二つの円輪)の一方は他方より大きく、これは二重性つまり大地とその魂あるいは断罪された者たちの闇と自ら(固有の闇)の二重の闇の降下を意味している。


[II. 世界の跡]
[F. (詩編吟唱用の)竪琴(プサルテリウム)] 
[11] つづいて、画家は彼の死後に世界に残す痕跡を描く。まず最初に竪琴の図の下に彼の印章(封印)が描かれている。指板には最も長い弦が一本だけ張られている。これは他よりも低い音を響かせるもの。またその下に円錐、上にうつわがある。その傍ら、円錐に向かって二つの十字架が配され、これによって信仰は騎士の革命(回転)から守られる。
[12] この印章(封印)は秘密を封印し、不在の権威を代示している。こうしてこれを介してさまざまな構成(なりたち)が公にされ、唯一の書冊にまとめられ、逝去した権威が語られるばかりか隠避な熱勢が秘匿される。三角形の三辺を閉じるのは法(権利)の知識とさまざまな体験と雄弁である。神の耳に重く響く信仰とは、まさに栄光の愛であり、これとは違うかたちの竪琴を纏わないもので、どうやらこれこそそこにこれが置かれている主要な理由であるようにみえる。
[13] この正円錐を介して神性の頂が表現され、その全体はこころ(思惟)の完全な転覆を示すために据えられている。キュリロスの啓示は「多くの描線云々」というところで、についてこう言明しているようにみえる。その中央に際立つ「B」は、この意味あるいは彼の名をあらわしている。その両側に逆向きに吊るされた二つの十字架は、旧約と新約の修養を十分明瞭にあらわしている。しかしその意図も彼のうちで無視されるか蔑されることで転覆されてしまうことだろう。

[G.三角]
[14] 世界に残されたまた別の跡は熊手でできた三角。この三角から横暴(僭主)、偽善、横柄が広がる。これは八月の二股の鍬によって運ばれ、これらに苦しめられる者たちを永遠の宙吊りにする。この三角は明白にこの世界のしるしとしてあり、その中央には「M」が据えられている。これは繊弱な基礎をあらわし、もっとも短い線(辺)の上に立っている。これはつまりこの生の最短の継続(短命)をあらわしている。この意味はそれ自体悪いしるしであるとともにその効果(帰結)も寂なものであるので、「邪悪な図像」とされている。

[H.]
[15] また別の跡はで、「邪悪のうつわ」と名指されている。樽は多くの軸(釘)と輪でできているが、これは明らかにその植物の多様性、あるいはその機構(構造)に一緒に結びつけられた諸部分あるいはその素材の多様性を意味している。これは基礎づけられておらず、つまりこの世界に永遠の腐敗の液体より他を注がない。それゆえその楔にははっきりと「邪悪のうつわ」と記されている。

[I.武具]
[16] ひとつは「」、つまり欺きあるいは偽りの狡猾さ。もうひとつは「」、こちらは致命的な敵意。また別に、不等な石の数々、これはさまざまな憎悪あるいは憤激。また別に槍がある。これは侮辱と冒瀆と脅迫を退ける熱狂と憤怒の投げ槍とともに描かれている。この跡(図)はキリスト教徒たちに残されたものである。

[J.円輪]
[17] 信徒の集まりの各人がこの跡(図)を修得することができるように、これらは「円輪」の中に「世界の機構」として集められている。これの上と下の部分への分割は、その下部に到来(生起)する者たちつまり大地を抱懐する者たちだけがこれを占めるであろうことを意味している。しかし高みから来る者たちは大地のものどもを蔑し、ただ天のものどもをだけ問題に(記憶)する。それらは緑の木のように成長(繁茂)する。そこでこれは「活力」、つまりキリスト信仰に対する誠実さと謂われている。「これはその共同体から知られることなく、世界の機構の中にとどまりつづけるだろう」。つまりキリスト教徒たちのうちに。しかし他の者たちは、「土星の抑圧」が原因となって、真実のはかりしれない転覆のうちにある。その深さ、つまり膨大な腐敗はやっと(わずかに)見出されたばかりである。というのもが言うように、丸い果実つまり富への愛を食べることで視覚を晦まされ、深みつまり膨大な腐敗は「明確に考えることができない」から。

cfr. Matthias Kaup, Der Liber Horoscopus; Ein bildloser Uebergang von der Diagrammatik zur Emblematik in der Tradition Joachims von Fiore, 2000

マージョリ・リーヴス『中世の預言とその影響――ヨアキㇺ主義の研究』八坂書房2006 第IV部 天使的教皇と世界革新参照


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