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モラン『百言集に関する占星術的註記』2


寸言II
Cum is qui consultat, ipsum melius scrutabitur; inter id & eius formam, nulla rerum differentia erit.
質問者が問う時、よりよく彼が(これを?)検討するには、これとその形相の間に何の相違もないように(彼の観念がものごとから隔たっていないようにしなくてはならない)。

マルキ・ド・ヴィレンヌ氏は多くの者たちにつづいて、「質問者」を天を観察する占星術師のことと採っている。「彼」をそれと認めるとして、つづきは氏の仏訳では、「よりよく彼(そのものが/を)検討する」だが、先行句では「天」についても「よりよく」(見る者)についても語られておらず、「そのもの」が「よりよく」とは何のことか分からない。「そのもの」は何か具体的な発語を想定している。ところで彼の註解ではこの「そのもの」を「天」とみて、プトレマイオスがそれ(天)を称して言っているとされる。なぜなら「それは不壊であり、分解されぬものであり、下なる何ものよりも卓越しているから」と。この説明は正当なものとみえるが、この註釈者は後出箇所で天における生成を認めることでこれを嘘とみることになっている。これについては後述する。「これ」とこれが生成する「その形相」についてはいまだ何も言われていないが、これらが検討されるものである。その観念とはつまり天の観念であって、第一の寸言でプトレマイオスが言うところの占星術師が予言する未来の帰結(ことがら)の形相(かたち)ではない。この寸言をこのように訳すなら、「天を参照する者はこれをできる限り精査する(よりよく検討する)。これとこの効果の形相(できごと)つまり占星術師が予言することには相違はない」。ここでこの寸言は明快となり、これより他にはあり得ない(これ以上の真実はない)。というのもここから、占星術師は十分に天を観察してその状態(様相)から判断するなら、もはや欺かれることはない。これはド・ヴィレンヌ氏が他の者たちに追随してうまく言っている通りである。


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