見出し画像

伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』66


LXVI.
Non utaris sola profectione: sed eo etiam, quod stella aut dant, aut auferunt.
In quadripartito, quando apheta Graece, hoc est, dominus quantitatis vitae in 9. vel 7. est, occidentem gradum perniciosum atque interimentem esse dixit. Decursus autem aliorum Planetarum aliquid dare addereque ad vitam adseruvit, aut diminuere atque subtrahere, prout fortunantur vel infortunantur, & qantitatem additionis vel diminutionem docuit invenire. Nunc autem dicit, sive ad orientem magis, sive ad occidentem apheta est. occurruntque profectioni eius infortunantes aut aspectus eorum, non interimentes, aut fortunantes. Similiter subtrahendum addendumve secndum illam regulam esse aliquid annis, qui a gradu aphetae ad gradum intervenientem colliguntur. Quod certe naturale est, atque intellectum. Nam ut aegrotationes per occursus infortunantium invectae de vita subtrahunt: sic contra corroborata per occursus fortunantium, natura nonnihil addit ad vitam.

[羅] これだけを出発点として用いるのではなく、星辰が与えるものあるいは取り去るものも勘案しなければならない。
『四書』ではギリシャ語のアフェタつまり生命の量(寿命)の主は9もしくは7(度)にあり、西の度数は果てしなく危険(破壊的)であると言われている。しかし諸他の惑星の軌道運動もそれが幸運惑星であるか災厄惑星であるかに準じて、なにごとかを生命に与え、つけ加えあるいは減らし、引き去るので、この付加もしくは減少の量を見出す方法を教えている。ここで彼は、アフェタが極端に東にあるか西にあるかにより、災厄惑星そのものあるいはその相が善惑星のそれを妨げないようにする必要があるという。これと同様に、アフェタの度数からこれにつづく度数にみつかる最初の歳月にかかわるこの規則に加算するか減算する必要がある。これは自然なことであり知解可能である。実際、災厄惑星との邂逅(合)がもたらす病が生命を取り去る一方、幸運惑星との邂逅(合)がこれを補強し、生命になにものか(何年か)を加えることになる。

[亜] プトレマイオスは言った。意味するもの(しるし)の恩恵〔賜〕が消耗していないうちは、駆動者tasyrだけを与えてはならず、生まれる者が到達する場所から駆動者tasyrの正確な知見の数々を得なければならない。
註解
つまり、誕生時日〔星図〕の昇位点(アセンダント)の度数の駆動者tasyrは一々の度数を周回する〔毎年一度づつうごく?〕。或る邪悪〔惑星〕に到達する時、あなたがハイラージュhaylagとその支配〔惑星〕を動かすのでなければ〔に移動することなく〕、これが唯一、この時に生まれる者の死を指し示すもの〔指標〕であるのでないなら、〔判断の〕精確さが変わることはない。実際、到達する星座〔区界?〕intiha’と恩恵〔賜〕の消耗が一緒になると、それの死に関しては疑いない。さもなければ切断(放棄?)はあり得ないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?