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伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』73


LXXIII.
Quando Sol cum Gorgonis capite invenitur, nec a benefactivo Planeta aspicitur, nec benefactivus in octava domo est, & dominus sectarij luminis ♂ , per qudraturam vel aspicit: caput eius, qui tunc natus est, amputabitur. Quod si Sol in medio caeli est, corpus eius incidetur. Et si aspectus fiat a ♊ aut a ♓, manus & pedes eius incidentur.
Gorgonis caput est, nunc anno domini 1456. circa 20 grad. ♉ . Nec benefactivus, inquit, hoc est, Planeta fortunans, & felix, ac bonus, est in 8 domo: nam quando ♃ maxime, deinde ♀ est in 8. quae domus mortis est, non morietur mala morte, qui tunc natus est, & dominus sectarij luminis, id est, dominus signi, ubi Sol est in die, Luna in nocte. Quod si Sol caeteris servatis, ut dictum est, in medio coeli reperitur, &c. sicut in tertio.

[羅] 太陽がゴルゴンの頭(龍頭)にあり、善惑星のいずれからも眺められておらず、善惑星が第八の家になく、光球の昼夜区分の主が♂を四角相から眺めている時に生まれる者は、誕生時に首を切られて生命を失うだろう。太陽が中天にあるなら体躯を切断されるだろう。それが♊あるいは♓から眺めているなら、手や足を失うだろう。
ゴルゴンの頭は現下、主の1456年には♉20度付近にある。これは善ではない、つまり幸運惑星、幸福で善良な惑星ではなく、第八の家にある。というのも木星が最大(?)である時、金星は第八つまり死の家にある。ここに生まれる者の光球の昼夜区分の主はこの星座の主であり(?)、日中誕生においては太陽、夜間誕生では月。太陽が上述したところから守られているなら、中天に見つかり云々...(?)

[亜] プトレマイオスは言った。火星悪鬼の頭ra’s al-gulと完全に合する時、善〔惑星〕が切断qat’(殺害者)の度数を眺めていない〔相をなしていない〕なら、第八〔の家〕に利益はない。二つの光球のうち時の光球sahib al-nawbahが火星の逆位にある、もしくは四角相にある時、生まれる者は確実に首を切断されることになろう。二つの光球が中天にあり、その体躯が交差している〔十字になっている〕時、邪悪〔惑星〕の数々が双子宮Gawza’および双魚宮Hawtを眺めている〔相をなしている〕と、彼は手足を切断されるだろう。
註解
プトレマイオスはすでに、或る人物の誕生時日〔星図〕において火星が悪鬼の頭と体躯を合する時、彼は首を切られるだろう、と記していた。ただプトレマイオスはそれを削除されたものistitna’から追加したものと記している。彼は善い死を指し示す諸条件を以下のように列挙している。善〔惑星〕の数々の相(?)が切断の度数にある時、また善〔惑星〕の一つが第八〔の家〕にある時。これらはたしかに占星術師たちが、死の邪悪な様相から除外している指標の数々であり、誕生時日〔星図〕にこれをもつ者は、寝床で頭の熱病によって死ぬだろう。わたしは聴いたところ、シュガ・イブン・アスラム・アル-ハシブは次のように語った。「シンド・イブン・ハリは、風が強く、波が高いにもかかわらず、ティグリス川を下るつもりで船旅に出た。わたしは彼とともに乗船する勇気がわかず、かえって彼の不用心を叱った。するとハリは、溺死を心配したりしない、と答えた。というのも、彼の誕生時日〔星図〕では、木星が死の家にあり、東見で、これは酷い死を除外するものだったから。実際、彼は寝床で死んだ」。フマラワイ・イブン・アフマドの伴連れであったバドル・アル-ダーグーニーはわたしに彼の息子の誕生時日〔星図〕を持って来て、わたしに検討するように問うた。わたしはそこに、時の光球である太陽が中天にあり、ハイラージュと火星がその四角相に、土星が地下の枢要点watad al-ard’に、昇位点(アセンダント)が双魚宮Hawtにあるのを確かめた。わたしはこの配置を判断することを怖れて、数語を口ごもるにとどめ、養育〔滋養〕tarbiyahの日々の完了を示唆しつつ、真実に彼が苦しめられるのを心配しつつ、誕生時日〔星図〕を凝視していた。彼の成長に関して、わたしは彼の食物と飲酒について問うた。ただしわたしはそこに示される処罰がどのようなものであるか、彼に指示するつもりはなかった。つまり手と足の切断、磔。彼は三十歳を越えるまで、おとなしくたいへん慎重だった。或る日彼の家に一群の者たちがあらわれたが、彼らはエジプトの安寧を守る主を裏切り殺した者たちと嫌疑をかけられた者たちだった。彼はこれらの者たちと一緒に、その手と足を切り落とされた。わたしは彼が磔にされ、手足が引き裂かれているのを実見した。これは上述のプトレマイオスのことばを確証するものである。


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