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伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』77


LXXVII.
Fac ascendentis gradus profectionem gratia eorum, quae sunt corporis: partis vero fortunae propter res extrinsecas, atque adventitias. Lunae autem propter coniunctionem corprois & animae, & medij coeli propter operationes.
Nam cum ascendens gradus occurrit infortunantibus locis, morbi suscitantur secundum naturam infortunantium, & signorum, ubi concursus fit, nec dubium nobis facere debet apheta. nam ille quidem vitae praeest, occursusque infortunantes, quando profectionem suam offendunt, interimunt. Causa igitur mortis considerantur, quamvis fortunantium aspectus adminiculanter evadunt: sed non omnino nati. aliqua enim aegrotationes laborabunt. Ascendentis autem gradus non mortales, sed levioris aegrotationis ostendit: quando profectio eius in loca infortunantia incidit. Lunae vero profectionem fac, inquit, propter ☌ corporis & animae, hoc est, propter illa quae manifeste corpori atque animo communia esse videntur, sicut sunt laetitia, moeror, & similia. Nam Lunae profectio infortunantibus locis occurrens, moesticiam secundum signorum & infortunantium stellarum & domorum, ubi occursus fit, naturam solet adferre. Fortunantibus contra laetitiam. caeteraque huiusmodi, quae animo atque corpori communia sunt.

[羅] 出発点の上昇位の度数を体躯(人体)の度数に宛てる。幸運の籤は外的な偶然のことがらの原因となる。一方、月は体躯と魂の合一をもたらし、中天はそのはたらきの原因となる
上昇度数に災厄惑星があるなら、災厄惑星のおよびそこで邂逅する星座の自然本性に準じた病が生じる。これがアフェタ(出発点)となることに疑いはない。というのもこれは生命の主であり、災厄惑星との遭遇が出発点にある時には、これを殺害することになる。幸運惑星の相から免れている場合にはこれが死の原因とみなされる。しかし邪悪を耐える者もあるので、生まれる者すべて(が死ぬわけ)ではない。いずれにしても上昇位は致死的な度数を示すわけではなく、出発点が災厄の場所にあたる時には、より軽微な病をあらわす。月は体躯と魂の合をはじめる(出発させる)。つまりあきらかに体躯と魂に共通なこと、歓び、悲しみ等々を。月の出発が災厄(惑星)の場所に遭遇すると、星座と災厄惑星およびこれが起こる家に準じて憂鬱の自然本性がもたらされる。幸運と歓び等々は魂にも体躯にも共通のものである。

[亜] プトレマイオスは言った。昇位点(アセンダント)の度数の駆動者tasyirは体躯の諸偶性を指し示すものであり、幸運の部分〔籤〕の度数は富を、月の度数は体躯と霊の準備〔配置〕を、太陽の度数は彼の特典と権威の力を、中天の度数は来たるべきことがら、一年の一々の度数(?)を指し示している。
註解
この論議は一見明快であるにしても、昇位点(アセンダント)と月の度数については曖昧である。昇位点(アセンダント)の度数はただ体躯に関わることがらを教えるだけで、新たにつけ加わるところをもとに、それつまり病の種類、体躯の総体に関わる不均衡を体質に伝える。月の度数の駆動者tasyirとは体躯に関わるもの、つまり活動、不眠、の従順さに関わる柔軟さ、新たなことがらal-amr al-muhdatに対する公正さや懸念〔気苦労〕。幸運の部分〔籤〕の度数の駆動者tasyirは、人が選択する富あるいはこれに陥る損害〔を指し示している〕。太陽の度数の駆動者tasyirはその主〔支配惑星〕との善悪の関係位置である。もしもこの度数の駆動者tasyirが善〔惑星〕と出会う、あるいはその光線を受けるなら、人のス人に対する立場は増大するが、邪悪〔惑星〕と相会するなら、その地位を失う。一方、中天の度数の駆動者tasyirについては異なっている。というのは、太陽の駆動者tasyirがあなたとあなたにとっての〔あなたを支配する〕権威の数々の関係をあらわしている一方、力能の度数駆動者tasyirとはあなたとあなたが支配する権威の度数の数々をあらわしているから。
駆動者tasyirとは既述の通り、それぞれ中天の度数の、昇位点(アセンダント)の度数の、あるいはこれら二つの間にある度数の駆動者tasyirである。これらは直立球の上昇を介して、郷土の上昇を介して(?)、またこれら二つとは異なった位置においてはこれら二つの上昇の間に指し示される。


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