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伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』48


XLVIII.
Quando gradus medij coeli domini est ascendens clientis, & horum praedominatores amicabili se aspectu respexerint, diu coniuncti perdurabunt.

Si, inquit, gradus medij coeli in nativitate domini, erit gradus ascendens eiusdem signi in nativitate eiusdem clientis, perseverabunt multo tempore. Si horum quoque domini, scilicet & clientis, id est, medij coeli & ascendentis praedominatores amicabiliter se aspexerint. Idem fit, si 6 domus servi fuerit in ascendente domini. Hinc nonnulli similia trahunt uxoris, si 7 mulieris ascendens viri fuerit, filiorum. si 5 filij fuerit ascendens, alterius patris fratrum. si caetera unius fuerint, ascendens alterius. Sed quamvis ista non fuerint, necessitudo tamen coniunctionis & sanguinis astris etiam dominatur. Prudentissime igitur Ptolemaeus haec neglexit.

[羅]中天の主(惑星)が質問者の上昇位にあり、両者の主(惑星)が相互に友情をもって眺めあっているなら、この合一(友情)は長くつづくだろう。

主人の誕生時(星図)の中天の度数(の星座)が、彼の顧客の誕生時(星図)の上昇位にあるなら、長くにわたって(関係は)持続するだろう。主人の時あるいは顧客の時つまり中天と上昇位のそれぞれの主(惑星)が相互に親しく眺めあっているなら(そのようになる)。また奴隷の第六の家(の星座)が主の上昇位にあるなら、同様となる。ここから妻について類同なことを考えたものがある。妻の第七の家が夫の上昇位にあるなら子供を(意味し)、子供の第五の家がその上昇位にあたるなら異父兄弟を、等々、一方(の中天)が他方の上昇位にあたるなら(そのようになり)、そうでないにしても、合(性的関係)と血縁は諸星辰によって司られていることに変わりない。それゆえ、プトレマイオスがこれについて省略しているのは慎重さの賜である。

[希] 欠

[亜] プトレマイオスは言った。或る主人の〔誕生時日星図の〕昇位点(アセンダント)から第十〔の家〕が彼の下僕の昇位点(アセンダント)にあり、二人の一方の支配〔惑星〕mubtazzが他方の支配〔惑星〕と友情の配置musakalahにあるなら、彼と下僕の関係は長くつづくだろう。また下僕の昇位点(アセンダント)が主人の昇位点(アセンダント)から第六の家にあり、妻の昇位点(アセンダント)が夫の昇位点(アセンダント)から第七の家にある時も同様。とはいえ共通〔同一〕性に関わる先の諸条件が勘案されねばならない。日中の諸惑星の東見dasturiyahは太陽の意味するもの(しるし)の数々、つまり太陽の三角相の主たちであり、諸惑星はその活動領野hayyizにある。意味するもの(しるし)の数々の意味にとって好意的な配置musakalah (> mahmudah) とは、それらとともにありつづけ、二つの間に対照〔敵対〕はほとんどない。
註解
これはつまり、従属するもの、下僕、妻〔の昇位点(アセンダント)〕が主なるもの、主人、夫の自然本性的な場所にあるなら、両者は一緒によい状態にありつづける。その諸条件は先の章ですでに説明したところである。意味するもの(しるし)の数々がなす相、六角相と三角相、それらに対する善〔惑星〕の光線の投影、それら固有の力能の数々。


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