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伝プトレマイオス『百言集《センティロキウム》』71


LXXI.
Quando in nativitate virorum in signis masculinis duo luminaria sunt, fiunt operationes eorum secundum naturam. In mulieribus autem intenduntur. Idipsum in ♂ atque in ♀ intelligitur. Nam cum orientales sunt, masculi efficiuntur: cum autem vespertini, effoeminantur.
Patet hic aphorismus. Causa quoque aperta est. Nam si utraque signa ubi luminaria inveniuntur in nativitate virorum, masculina sunt, natura eorum masculina, ut ita dicam, syncera & integra redditur. Nec ferunt, imo summopere dedignantur adversus eam aliquid pati atque committere, Muliebris vero fortior fit, atque ideo actus eorum intenduntur, hoc est, Venerei magis fiunt. Si utraque luminaria in signis, dum nascuntur, habuerint masculinis. Idem fit, si ♂ & ♀ fuerint masculini, hoc est, orientales. Huic contrarium etiam collige. Facile namque intellectu est. Quo igitur plura concurrunt, eo complexionis (quae inde infunditur) phantasmata feruntur. Quod si exaequabuntur, non dubitaverim meliorem naturalemque partem superaturam. Nam si aeducatio & leges civitatum pravas deprimunt cogitationes, faciuntque ne in rem proveniant, non iniuria id, & quidem multo magis naturae rationique attribuemus: ut quum influxus stellarum ex aequari videantur, naturalem habitum possideat: praesertim cum videamus multa manifestaque naturae, id est, complexionis vicia rationi sic omnino superari atque extingui.

[羅] 人(男児)の誕生にあたり、二つの光球が男星座の中にあるなら、その活動はこれらの自然本性に準じて展開することになる。しかしこれらが女星座にあるならこれが妨げられる。これは♂と♀についても言えることで、これらが東にあると男となるが、西にあると女となる。
この寸言は明瞭である。その原因は未解決であるにせよ。人の誕生時に両光球がある星座のいずれもが男星座であるなら、(生まれてくる子は)男性的となり、その男性性は完璧なものとなるだろう。そうでない(女星座の中にある)なら、これを蒙ることを憎み、なにごとかこれに抗して女性性が強化され、その活動は色欲的(金星的)となる。誕生時に両光球が男性である(男性星座にある)のと同様なことが♀と♂が男性である時つまり東にある時にも起こる。逆の場合には逆となる。これを理解するのは容易である。数多のことがらが合するところには結合の(そこに注入(溶解)された)妄想が立ち上がる。しかしこれが平準化されるなら、その自然本性的によりよい部分が上位に置かれる(卓越する)に違いない。じつのところ教育と民法が誤った考えを退け、その実現を妨げるということは間違いではない。それどころかわれわれは自然本性と理拠により多くのことを帰属する。諸星辰の影響(注入)がこれと同等の時、自然本性的な態度が獲得される。特に自然本性のさまざまなあらわれをまのあたりにする(自然界の多くのできごとを観る)時、体質のさまざまな欠陥は完全に超克され、消し去られる。

[亜] プトレマイオスは言った。人々の誕生時日〔星図〕において、二つの光球が男性星座にあるなら、彼らの行動は自然本性に準じてなされるが、女性〔星座〕にあるなら、非自然本性的なものに逸脱するだろう。また、火星と金星の場合、性的関係はこれに類したものとなる。これら二つの惑星が東見tasriqであると、男性性の援けとなり、西伏tagribであると、女性性の援けとなる。土星は倒錯〔堕落〕manhasahを増す一方、水星は欲望への集中を援ける。これらの逆性もまた同様に判断される。
註解
つまり、或る人の誕生時日〔星図〕において、二つの光球が男性星座の中にある、あるいは男性星座と二つの四角相をなしているか同じ四角相の中にあると、この人〔の自然本性〕は男性性の諸条件を十全に受け取る。一方、誕生時日〔星図〕の二つの光球の位置が女性〔星座〕の中にあると、その自然本性は女性的になり、その身振りは女性的〔柔和〕となり、〔涙を〕抑えることができなくなる。或る女性の誕生時日〔星図〕において、二つの光球がどちらも男性〔星座〕の中にあるなら、その行為の特徴〔性格〕は男のようになり、男たちにも服従しなくなる。
火星と金星が男性星座の中にあるなら、これを誕生時日〔星図〕にもつ女は性的関係において自然本性的にふるまうが、これらが東見にあるなら、この男は女たちを気にかけず、男性性の過剰により、若者たちと男色に耽ることになるだろう。一方、これら二つが女性星座にあり、土星がこれらを眺め〔相をなし〕、これら二つとも西伏であるなら、こうした者たちの性的関係は自然本性に反したものとなり、時として不道徳なことを望むまでに逸脱する。それが女性で、火星と金星の位置が男性〔星座〕にあり、これら二つが東見にあるなら、彼女は男たちを避け、彼らとの性交を忌み嫌い、女色を好むだろう。火星と金星の位置が女性〔星座〕にあり、これら二つが東見であるなら、男たちとの性関係を望み、自然本性的にふるまうだろう。木星が火星の場所にあるなら、男たち女たちとの関係は信仰が定めるところに従うが、火星だけが支配し、木星を眺めていない〔相をなしていない〕なら、こうした者たちの性関係は信仰が定めるところに反するものとなるだろう。

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